小寺山康雄

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小寺山 康雄(こでらやま[1]/こてらやま やすお[2]1940年 - 2020年2月19日[3])は、社会運動家。「自治・連帯・共生の社会主義をめざす政治連合」共同代表[4]。コミュニティセンター・ポポロ主宰[5]

神戸大学文学部卒業。兵庫県学生自治会連合執行委員長、統一社会主義同盟議長などを務めた[1]

経歴[編集]

1940年神戸市生まれ。1960年神戸大学文学部入学。1961年7月の日本共産党第8回大会を機に山田六左衛門春日庄次郎原全五安東仁兵衛沖浦和光らとともに構造改革派として共産党を追放された。同年10月結成の社会主義革新運動準備会(社革)に参加。1962年5月に統一社会主義同盟(統社同)の結成に参加[2]。1968年時点で統社同の機関紙編集長を務め[6]、1969年9月の統社同第8回大会で議長に選出された[7]。同年11月に統社同を離脱、「構革派の戦闘的再生」を掲げ関西で統一労働者同盟準備会(統労同)を結成し[6]、1970年の統社同第9回大会で統社同を除名された[7]。1977年に統労同が解散してからは無党派で活動する[1]

1977年から97年まで続いた「社会主義理論政策センター」の事務局次長を務めた。1986年に左翼の新しい連合組織の結成を呼びかけ[1]、1992年8月に「自治・連帯・共生の社会主義をめざす政治連合」を結成し、白川真澄高田健とともに共同代表となった[8]。2005年までの10年間、市民政治新聞ACT編集長を務めた[9]。1989年時点で社会主義懇談会全国世話人[10]。1999年時点で市民がつくる芦屋会議世話人[1]。その後、第三次『現代の理論』編集委員[11][12]

2010年7月の第22回参議院議員通常選挙では、元新社会党副委員長で社民党候補者の原和美支援アピール呼びかけ人の1人に名を連ねた[13]

没後、追想・遺稿集『激流に掉さして―想うがまま』が刊行された[3][14]

著作[編集]

  • 熊沢誠編著『働く日常の自治――労働者管理の思想と領域』(田畑書店、1982年)
  • 渡辺一衛、塩川喜信大藪龍介編著『新左翼運動40年の光と影』(新泉社、1999年)
  • 江藤正修編『資料集 戦後左翼はなぜ解体したのか』(同時代社、2006年)
  • 上坂喜美遺稿追想集編集委員会編著『三里塚を再び緑の大地に――空港反対闘争に賭けた上坂喜美の後半生』(アットワークス、2009年)

脚注[編集]

  1. a b c d e 小寺山康雄「六八-九年の叛乱と新左翼」、渡辺一衛、塩川喜信、大藪龍介編著『新左翼運動40年の光と影』新泉社、1999年、276-278頁
  2. a b 「50年余の同志の死を悼む」元統一社会主義同盟議長・小寺山 康雄 | コラム/想うがままに 沖浦和光さんを偲ぶ 第三次『現代の理論』第6号(2015年11月1日)
  3. a b はせがわしゅんえいアクション日記(2422)《2021.2.1》 長谷川俊英(2021年2月21日)
  4. 小寺山康雄「イタリアとの出会いを作ってくれた人」『かけはし』2001年9月24日号
  5. 労働情報』859号、2013年3月
  6. a b 小寺山康雄「六八-九年の叛乱と新左翼」、渡辺一衛、塩川喜信、大藪龍介編著『新左翼運動40年の光と影』新泉社、1999年、247-248頁
  7. a b 21回大会への歴史報告(先駆10年11月号掲載) フロント[社会主義同盟]
  8. 自治・連帯・共生の社会主義をめざす政治連合が結成さる『労働者の力』第36号、1992年9月10日
  9. ●小寺山康雄編集長、退任のご挨拶 世界を変えよう“市民の力”どっとこむ(2005年4月25日)
  10. 『現代の理論』268号、1989年12月
  11. 現代の理論 07新春[Vol.10] 明石書店
  12. 現代の理論 09秋号[Vol.21] 明石書店
  13. 原和美支援アピール呼びかけ人、かなり増えました。 原 和美 です。 みなさんお元気ですか。(2010年5月26日)
  14. 小寺山康雄さんの追想・遺稿集「激流に掉さしてー想うがままに」 平和とくらし 茨木市議 *山下けいきの日々是好日(2021年2月27日)

外部リンク[編集]