労働情報
労働情報(ろうどうじょうほう)は、「協同センター・労働情報」が発行していた月刊の労働運動専門誌。
概要[編集]
元総評事務局長・高野実主宰の『労働情報通信』(1960~63年、第1期)、『労働周報』(1967~69年、第2期)を引き継ぎ、1977年に創刊された雑誌。キャッチフレーズは「労働を 生活を 社会を変える『労働情報』」。一般の書店では取り扱っていないが、発行元からの取り寄せの他、弁護士会館ブックセンター、大阪高裁内ブックセンター、模索舎、富士山ブックサービスで購入することが出来た。事務所の所在地は東京都千代田区外神田6-15-14外神田ストークビル502号。
1977年1月に南大阪の全金・全港湾を中心とした地域労働運動、全国の反戦派労働運動の活動家、総評左派・旧高野派指導者らが開催した「日本資本主義と対決する全国労働者討論集会」(大阪集会)で発刊が決定され、2回の準備号を発行した後、4月に「労働情報編集委員会」が『労働情報』第1号を発刊した[1][2]。初代代表は元総評議長の市川誠[1]。
元共産党員の川上徹は『労働情報』を「左派系労働運動をリードする存在」と評している[3]。戦旗派を率いた荒岱介によれば、『労働情報』は1980年代に「最後の輝き」をもっていた新左翼の労働運動の代表的存在であり、ポーランド「連帯」労組への連帯や「全民労協」結成への反対運動など多彩な活動の触媒となっていた。しかし、冷戦崩壊後に10人近くいた編集部員は数人に減り、発行部数は激減した[4]。
1995年8月に発行元が「労働情報編集委員会」から「協同センター・労働情報」に改組され、前田裕晤が代表に就任した。2015年5月に山原克二、柚木康子が共同代表に就任した[1]。
2020年12月1日発行の1000号をもって休刊した[5]。発行元の「協同センター・労働情報」は解散することになったが、同時にジャーナリストの協同組合による新メディア「Unfiltered(アンフィルター)」が発足した。『労働情報』編集人の松元千枝が中心になって呼びかけたもので、13人のジャーナリストメンバーでスタートする[6]。
新左翼との関係[編集]
新左翼(内ゲバ反対派)、高野派、社会党左派を結び付けるセンター的機能を果たした[7]。共労党の樋口篤三が1977年の創刊時から1986年まで編集人を務め[8]、第四インターの今野求、江藤正修、国富建治らが事務局の運営や編集に携わった。江藤正修によれば、江藤が1977年に「主体と変革派」から第四インターに移った際、インター指導部は江藤が元埼玉県反戦青年委員会事務局長として知られていたことを考慮して、樋口が編集長を務める『季刊労働運動』専従に抜擢し、その延長で『労働情報』事務局専従に就任したという[9]。
『人民新聞』初代編集長の渡辺雄三は、「新左翼勢力の一部が『労働情報』を出しました。彼らとは付き合いましたが、彼らは労働運動と政治運動との混同から抜け出すことが出来ませんでした。」と評している[10]。
脚注[編集]
- ↑ a b c 労働情報とは 労働情報
- ↑ 『労働情報』32年半分のDVD4巻が完成 労働情報
- ↑ 川上徹『戦後左翼たちの誕生と衰亡――10人からの聞き取り』同時代社、2014年、131頁
- ↑ 荒岱介『新左翼とは何だったのか』幻冬舎新書、2008年、145-146頁
- ↑ 労働現場報じ1000号で幕 雑誌「RODOJOHO」休刊、ウェブ拠点へ /東京 毎日新聞、2020年12月9日
- ↑ 『労働情報』の終わりとはじまり/「女性・外国人・非正規」に届く労働運動を! レイバーネット日本、2020年12月7日
- ↑ 樋口篤三『革命家・労働運動家列伝』同時代社、2011年、174、259頁
- ↑ 「樋口篤三さんの見果てぬ夢を語り継ぐつどい」に270人集まる レイバーネット日本、2010年2月8日
- ↑ 川上徹『戦後左翼たちの誕生と衰亡――10人からの聞き取り』同時代社、2014年、139頁
- ↑ [コラム] 渡辺雄三自伝第15回 人民新聞、2004年7月25日