小宮山 昌友(こみやま まさとも、生没年不詳)は、戦国時代の武将。武田氏の家臣。
信濃国佐久郡の出身で、受領名は丹後守。武田信玄に仕えて譜代家老衆に列し、同心衆30騎持の地位にあった。
『甲陽軍鑑』によると、永禄2年(1559年)6月に信濃国諏訪郡代に任命されたという。後に諏訪郡代の座は吉田信生と交代し、上野国松井田城代に転任している。
没年に関しては元亀3年(1572年)冬の西上作戦における遠江国二俣城攻めの際に戦死した、というのが一般的であったが、天正4年(1576年)2月に「小宮山丹後守」の名が所見されているため、信玄の没後は武田勝頼に仕えていた可能性もある。