吉田信生
ナビゲーションに移動
検索に移動
吉田 信生(よしだ のぶなり、生没年不詳)は、戦国時代の武将。武田氏の家臣で御一族衆。
生涯[編集]
官途は左近助。武田家の御一族衆。吉田氏の名跡は武田信玄の同母弟である武田信繁が継承しており、信生はその信繁の跡を継承したものと見られている。
永禄9年(1566年)閏8月25日、竜朱印状の奏者として活動しているのが確認できる(『矢島文書』)。その他にも、信濃国諏訪郡代を務めたり、永禄10年(1567年)8月の下郷起請文において浅利信種と共に奉行を務めたりしている。
永禄11年(1568年)、諏訪郡代の役職は市川昌房に交代している。竜朱印状の奉書は13点ほど確認されている。史料上では永禄13年(1570年)2月まで確認できるが、その後は確認できなくなっているため、恐らくこの前後に死去したものと推定される。
一説に大井信家と同一人物とする説がある。