定恵院
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定恵院(じょうえいいん、永正16年(1519年)[1] - 天文19年5月26日[1](1550年7月8日))は、戦国時代の女性。武田信虎の長女[1]で武田信玄や武田信繁らの同母姉。今川義元の正室[1]。
生涯[編集]
『勝山記』によると天文6年(1537年)2月10日、前年の花倉の乱を経て今川氏の当主になった義元と信虎の同盟が成立したので、義元に嫁いだという。天文10年(1541年)の信虎の追放はこの婚姻関係を基にして行なわれている。
義元との間には結婚の翌年に嫡子の今川氏真が生まれ、他に甥の武田義信の正室として嫁いだ嶺松院、隆福院が生まれている[1]。
天文19年(1550年)5月26日に死去[1]。享年32[1]。定恵院の死去で今川・武田間の婚姻関係が消滅したため、新たに従妹同士になる義信と嶺松院の婚姻が成立することになる。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 柴辻俊六 編『武田信虎のすべて』(新人物往来社、2007年) ISBN 978-4-404-03423-6
- 柴辻俊六 編 『武田信玄大事典』(新人物往来社、2000年)ISBN 4-404-02874-1