天神山城 (武蔵国)
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天神山城(てんじんやまじょう)とは、現在の埼玉県秩父郡長瀞町岩田にかつて存在した日本の城である。
概要[編集]
野上駅の北東の荒川の右岸に存在した城で、比高80メートルほどの天神山に存在した山城である。天文元年(1532年)に武蔵七党の1つに数えられる猪俣党の藤田氏による築城といわれている。藤田氏は扇谷上杉家に仕えていたが、天文14年(1546年)の河越夜戦で扇谷上杉家が北条氏康に大敗して滅亡すると、氏康に降伏し、氏康の息子である北条氏邦を婿養子に迎えて花園城、後に用土城に退いた。
氏邦は天神山城に入り、永禄3年(1560年)に鉢形城を大規模に改修するとここに居城を移し、代わって一族の北条氏光が天神山城主となる。天正18年(1590年)の小田原征伐で天神山城は落城し、これにより廃城となった。
現在は城跡に入ることはできないようにされており、閉鎖状態となっている。