大津藩
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大津藩(おおつはん)は、江戸時代初期のわずかな期間だけ近江国に存在した藩である。藩主家は譜代大名の戸田氏。藩庁は大津城。石高は3万石。現在の滋賀県大津市に存在した。
概要[編集]
大津は交通の要衝であり、織田信長の時代から重要視されていた。豊臣政権の時代になると大津城が築城され、浅野長政、増田長盛、新庄直頼らが城主となった。文禄4年(1595年)、京極高次が6万石で城主となる。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの時、高次は当初は西軍に属していたが、その裏で徳川家康と内通して情報を流しており、後に西軍に対して叛旗を翻して大津城に籠城した。このため、立花宗茂ら西軍の総攻撃を受けて大津城は開城を余儀なくされたが、この攻城戦のために立花宗茂は関ヶ原本戦に参加することはできず、東軍の勝利に貢献することになった。高次は戦後、高野山に上っていたが家康から宗茂を引き付けた功績などを評価されて若狭国小浜藩8万5000石に加増移封された。
慶長6年(1601年)、家康譜代の重臣である戸田一西が大津城に入ったことにより、大津藩が立藩する。しかし同年に家康の命令で膳所城に移ることになったため(膳所藩)、大津藩は廃藩となった。
歴代藩主[編集]
- 戸田家
譜代。3万石。
- 一西(かずあき)