大日本帝国の食生活

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大日本帝国の食生活(だいにほんていこくのしょくせいかつ)とは、明治維新から日本国憲法施行までの大日本帝国での食生活を記す。

概要[編集]

江戸時代には忌避されていた肉食を文明開化の錦の御旗の如く公然と行われるようになり、米不足からパンを食べるよう奨励された。外国から様々な野菜が移入され、食文化が豊かになった。一方、農村では相変わらず米を作る農民は米を常食できず、貧困を嫌って都市部への人口の流失、移民がおきた。第一次世界大戦後のシベリア出兵による米価の高騰は米騒動を招いた。太平洋戦争では農民の徴兵による食糧生産者の不足、化学肥料農薬の製造工場が爆薬製造工場に転換されたために農作物の生産高が低下した。さらに連合国軍の通商破壊による兵糧攻めと輸送力の低下によって都市部での食糧不足が起きた。

軍隊[編集]

大日本帝国陸軍大日本帝国海軍の発足に伴い、下士官兵に食事を提供することになった。当初はパン牛乳を提供して兵を戸惑わせた。それでも農村出身者が多く占めた兵士にとって白米を食べられることは大きな魅力であった。しかし、脚気予防として麦が混ぜられるようになり、兵士に不満が起きた。また、軍隊で提供された料理を覚えた兵士が除隊して故郷に戻り、旅館や料理店を開いて様々な料理を提供するようになった。

関連項目[編集]

参考文献[編集]