多田満頼

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

多田 満頼(ただ みつより、? - 永禄6年(1563年)12月[1])は、戦国時代武将甲斐武田家家臣武田二十四将の一人として数えられる。

生涯[編集]

仮名は三八郎[1]。受領名は淡路[1]。ただ諱の満頼に関しては確実な史料で確認されていない[1]

美濃出身の浪人であったが武田信虎に見出されて武田家の家臣となり、信虎配下の足軽大将衆4人の内、1人にまでなったという[1]

天文10年(1541年)の信虎追放後は晴信に仕えた。『勝山記』によると天文16年(1547年)8月の信濃小田井原の戦いで戦功を挙げる活躍をしている。天文17年(1548年)7月の信濃塩尻峠の戦いでも戦功を挙げた[1]

永禄6年(1563年)12月に病死[1]

脚注[編集]

  1. a b c d e f g 柴辻俊六 編『武田信虎のすべて』新人物往来社、2007年、p.201

参考文献[編集]