千葉和彦
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選手情報 | |
---|---|
本名 | 千葉和彦 |
英字表記 | Kazuhiko Chiba |
生年月日 | 1985年6月21日(39歳) |
出身地 | 日本、北海道岩見沢市 |
身長 | 183 cm |
体重 | 77 kg |
ポジション | ディフェンダー |
クラブ情報 | |
所属クラブ | アルビレックス新潟 |
背番号 | 35 |
クラブチーム | |
2004-2005 2005 2005-2011 2012-2018 2016 2019-2020 2021- |
AGOVVアペルドールン ドルトレヒト アルビレックス新潟 サンフレッチェ広島 名古屋グランパス アルビレックス新潟 |
代表チーム | |
2013 | 日本 |
千葉和彦(ちば かずひこ、1985年6月21日 - )は日本のサッカー選手。
特徴・その他[編集]
- サッカーを始めたきっかけは、ちょうどJリーグが開催した頃で、凄いブームだったから。自分もそれに乗っかっておこうかと思ったから。その後、父親の転勤で三重県に渡り、津市立橋北中学校に入学。2001年から特待生として日生学園第二高等学校(現・青山高等学校)に進学した[注 1]。また、高校1年生で三重県県選抜メンバーの一員として毎夏オランダやスペインに海外遠征した。
- 高校3年生時、Jリーグからの誘いが無かったため、大学に進学するか迷ったものの、サッカーにより集中できる環境に身を置きたいと探した結果、2004年1月高校卒業と同時に、サッカーの短期留学で3回ほど行ったのことあるオランダへ単身で渡り、オランダ2部リーグ・AGOVVアプルドーレンのテストを受けキャリアをスタートさせた。2003-04シーズン、AGOVVアプルドーレンではシーズン途中加入であることや、プロとしての体作りが出来ていなかったため、シーズン終了まで出場機会を得ることは無かった。その間の半年間は、徹底的に体作りのトレーニングに励んだ。
- 2004-05シーズン、シーズン序盤から徐々に出場機会も増え、中盤以降は守備的ミッドフィールダーとして定位置を確保し、21試合に出場。献身的な大型ボランチとして高い評価を得た。シーズン終了後、AGOVVアプルドーレンの監督が同じオランダ2部リーグに所属するFCドルトレヒトへ移籍したことに伴って、千葉の才能に惚れ込んでいた同監督が一緒にFCドルトレヒトへ連れて行った。
- 2006年は、若手育成を図る鈴木淳監督の下で出場機会を掴んで行き、CBとボランチの両方でプレー。そのユーティリティー性とオランダでの経験を生かしながら活躍したため、U-21日本代表に追加招集。11月14日に行われた対U-21韓国代表戦にて、先発で初出場を果たした。
2007年は、シーズン序盤こそ出場機会は無かったが、前年同様CB、守備的MFとして起用される。プレースタイルである激しい守備により磨きがかかり、コンスタントな活躍でチームのリーグ戦躍進に大きく貢献した。この活躍が認められる形で、KIRIN CUP・北京五輪2次予選を戦うU-22日本代表に招集された。
2008年は、シーズンを通してボランチのレギュラーとして出場。下位に低迷するチームを中盤の底から支え、J1残留に貢献した。この年も反町康治監督が指揮する北京五輪代表候補となるU-23日本代表に選出されたものの、本選を戦う代表メンバーには選出されなかった。 - チームが4-3-3システムを採用した2009年の出場機会は4-4-2システムに戻したシーズン終盤に限られたが、FW・MF・DFそれぞれに軸を設ける黒崎久志監督の方針の下で在籍年数が本間勲に次いでチーム2位となった2010年はチームの副将に就任。この年はシーズンを通してCBで起用され、キャリア最多のJ1リーグ戦33試合に出場した。
登録ポジションをMFからDFに変更した2011年も引き続き副将に指名され、開幕前からディフェンスリーダーとして守備陣を統率。自身の不調から若手に先発の座を譲ることもあったが、怪我人が相次ぐチームの中でリーグ前半戦すべてに出場。J1リーグ第22節では、FWアンデルソンのCKからヘッドで得点。プロ入り後7シーズン目にしてJリーグ戦初ゴールを決めている。 - ボランチとしての起用の他に、フィジカルに優れ、1対1に非常に強い点を買われてセンターバックとして起用されることも多い。「全力王子」の名の通り、ハードワークを厭わないパワフルなプレーが特徴。
- 後方から繰り出すフィードとビルドアップのパスの正確性も武器。特にワンタッチで縦に鋭く放つグラウンダーのパスは特筆物。
- クレバーなプレーが多く、カードを貰う事は稀である。
- 90分間集中力を切らす事なく精力的に動き回るスタミナも兼ね備えている。
- オランダ2部リーグ2003-04シーズン、現オランダ代表のエースストライカーであるクラース・ヤン・フンテラールとチームメイトであった。
- 2003-04シーズン終盤、3試合出場停止の処分を受けていたが、2005-06シーズン開幕前にアルビレックス新潟に移籍したため、当該処分を新潟で消化した。
FCサプリメントへの期限付き移籍からの復帰後日本アンチ・ドーピング機構による暫定資格停止解除後の2016年12月23日、チーム練習に顔を出し、集まったサポーターに向けて「痔の薬じゃないんで!Twitterで拡散しといてください!すぐ呟いてください!」と挨拶し、笑いを誘った。- 利き手は右手であるが、利き足は左足である。(公式プロフィール)Jリーグにおいては、貴重な左利きのセンターバックの一人である。
- 千葉が惜しくも選考から漏れた北京五輪代表メンバーの中には、本田圭佑や吉田麻也など、後にオランダリーグに活躍の場を移した選手も含まれているため、そのままレギュラーを確保していたオランダのクラブに留まっておけば、A代表への近道だったのではないかとの声もささやかれる。
- 好きなテレビ番組は、情報ライブ ミヤネ屋である。
- 自信のブログ千葉和彦公式ブログちばブロ!は、コントラストを黒を基調にしているためか、一部のファンからは見にくいとの声も上がっている。写真だけを掲載することもしばしば見受けられる。
クラブチームの統計[編集]
年度 | リーグ | 番 | 試合 | 得点 | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|---|
AGOVV | リーグ | - | ||||
2003/04 | 1D | 0 | 0 | |||
2004/05 | 21 | 0 | ||||
通算 | 21 | 0 | ||||
ドルトレヒト | リーグ | - | ||||
2005/06 | 1D | 0 | 0 | |||
通算 | 0 | 0 | ||||
新潟 | リーグ | Jリーグ杯 | ||||
2005 | J1 | 37 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2006 | 3 | 14 | 0 | 2 | 0 | |
2007 | 3 | 27 | 0 | 6 | 1 | |
2008 | 3 | 31 | 0 | 6 | 0 | |
2009 | 3 | 13 | 0 | 2 | 0 | |
2010 | 3 | 33 | 0 | 5 | 0 | |
2011 | 3 | 29 | 1 | 3 | 0 | |
通算 | 147 | 1 | 24 | 1 | ||
広島 | リーグ | Jリーグ杯 | ||||
2012 | J1 | 5 | 33 | 1 | 6 | 0 |
2013 | 5 | 34 | 1 | 2 | 0 | |
2014 | 5 | 30 | 1 | 5 | 0 | |
2015 | 5 | 34 | 1 | 5 | 0 | |
2016 | 5 | 28 | 0 | 2 | 0 | |
2017 | 5 | 31 | 0 | 3 | 0 | |
2018 | 5 | 11 | 2 | 0 | 0 | |
通算 | 201 | 6 | 23 | 0 | ||
名古屋 | リーグ | Jリーグ杯 | ||||
2019 | J1 | 5 | 1 | 0 | 5 | 0 |
2020 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
通算 | 1 | 0 | 5 | 0 | ||
新潟 | リーグ | Jリーグ杯 | ||||
2021 | J2 | 35 | 39 | 2 | - | |
通算 | 39 | 2 | 0 | 0 | ||
総通算 | 409 | 9 | 52+ | 1+ |
代表チームの統計[編集]
日本代表 | ||
---|---|---|
年 | 試合 | 得点 |
2013 | 1 | 0 |
通算 | 1 | 0 |
外部リンク[編集]
注[編集]
- ↑ 本当は他の高校に行きたかったが、試験に受かるかどうかギリギリだったため、どうしようか迷っていたところに、日生学園第二高等学校から声がかかる。