千少庵

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千 少庵(せん の しょうあん/せん しょうあん、天文15年(1546年) - 慶長19年9月7日1614年10月10日))は、茶人千利休の養子にして娘婿。京千家の当主。子に千宗旦がいる。千道安は同年生まれの義兄弟。

略歴[編集]

父親に関しては不明で、一説に利休と親交のあった松永久秀の落胤とする説や、能楽師の宮王三郎三入の子とする説などがあるが不詳。利休の後妻となった宗恩連れ子であり、少庵は利休の娘と結婚することで婿養子となった。その娘との間に生まれたのが宗旦である。

天正19年(1591年)に義父かつ養父の利休が豊臣秀吉の命令で切腹した際、少庵は会津若松城主・蒲生氏郷に預けられて蟄居を命じられた。文禄3年(1594年)に秀吉より赦免されると、京都に帰洛して京千家を興す。また、利休の命令で仏門に入っていた息子の宗旦を還俗させた。慶長5年(1600年)に家督を宗旦に譲って隠居するが、以後は宗旦を後見して侘び茶の普及と育成に尽力した。

義兄弟の道安とは対照的で、道安が「動」に対して少庵は「静」であり、利休が生前に2人に竹の蓋置を運ばせた際に道安が荒々しく節くれだったものを選んだのに対し、少庵は節の無いすべらかな物を選んだというから、繊細な性格をしていたものと推測される。

慶長19年(1614年)に死去した。享年69。

息子の宗旦は現在に残る三千家(表千家裏千家武者小路千家)を興し、千家は繁栄した。