北条氏明
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北条 氏明(ほうじょう うじあき、? - 慶長元年(1596年)?)は、後北条氏の一族。安土桃山時代の武将。北条氏勝の嫡子。
生涯[編集]
氏勝の嫡子なので、綱成の曾孫にあたる。母は上田朝直の娘・蓮覚院。仮名は善九郎といい、これは氏勝の父である氏繁と同じなので、玉縄北条氏の嫡子に位置付けられていたことがわかる[1][2]。
天正18年(1590年)の小田原征伐で後北条家が滅亡した後、氏明は父・氏勝と共に徳川家康に仕えた。天正19年(1591年)末に父が隠居したため、家督を相続して玉縄北条氏の当主となる。しかし慶長2年(1597年)から氏明の活動が確認できず、父の氏勝が再び当主と同様の活動をしていることから、この頃までに死去していた可能性が高い。法名は華翁昌栄禅定門[2]。
氏明の死で世継を失った氏勝は、その後は弟の繁広、そして保科正直の4男である氏重を養子に迎え、慶長16年(1611年)に氏勝が亡くなると家督は氏重が継承している。