蓮覚院(れんがくいん、永禄4年(1561年) - 文禄3年10月27日(1594年12月8日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。北条氏勝の正室。
後北条氏の家臣で他国衆の上田朝直の娘[1]。朝直は明応3年(1494年)生まれのため、満67歳の時の娘ということになる。
朝直は武蔵松山城主として後北条家の重臣の地位にあった人物で[1]、彼女はそのため後北条家の一族である北条綱成の孫・氏勝に嫁いでいる。氏勝との間には嫡子の氏明が生まれている。
蓮覚院は氏勝に先立って文禄3年(1594年)に34歳の若さで死去した。法名は蓮覚院妙俊[1]。