全日本民間労働組合協議会

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
労働戦線統一準備会から転送)
ナビゲーションに移動 検索に移動

全日本民間労働組合協議会(ぜんにほんみんかんろうどうくみあいきょうぎかい)は、民間先行の労働戦線統一を目指して結成された民間単産の協議会。略称は全民労協(ぜんみんろうきょう)。

1982年に労働戦線統一準備会が全民労協に発展的に解消した[1]。1987年に全日本民間労働組合連合会(連合、民間連合、全民労連)に移行、1989年に官公労組も含めた日本労働組合総連合会(連合)に発展的に解消した。

沿革[編集]

  • 1980年9月30日 - 労働戦線統一推進会が発足[2]。メンバーは中村卓彦鉄鋼労連委員長・総評)、中川豊全日通委員長・総評)、宇佐美忠信ゼンセン同盟会長・同盟)、橋本孝一郎電力労連会長・同盟)、竪山利文電機労連委員長・中立労連)、塩路一郎自動車総連会長・純中立)の6人。
  • 1981年4月24日 - 労働戦線統一推進会が81年中に民間先行の統一準備会を発足、82年に協議会を発足させることを確認。
  • 1981年5月1日 - 労働戦線統一推進会が「労働戦線統一の基本構想」を発表。6月3日には「民間先行による労働戦線統一の基本構想」を発表。労働戦線統一準備会への参加を呼びかける[3]
  • 1981年12月14日 - 労働戦線統一準備会が発足。39単産380万人が参加、1年後に51単産485万人となる[1]
  • 1982年12月24日 - 東京・池之端文化センターで全日本民間労働組合協議会(全民労協)の結成総会を開催。41単産423万人が参加。初代議長は竪山利文(電機労連)、事務局長は山田精吾(ゼンセン同盟)。
  • 1982年12月23日 - 政策推進労組会議が全民労協の結成に伴い事実上の活動凍結を決定。
  • 1983年3月 - 私鉄総連全国金属紙パ労連など総評傘下の8単産が参加し、49単産480万人となる。
  • 1984年11月 - この時点の加盟組織は正式加盟54単産、オブザーバー加盟1単産、友好組織5単産。1985年6月末時点の組織人員は511万7115人[4]
  • 1985年11月 - 全民労協が第4回総会で2年後の連合体移行を決定。
  • 1987年11月19日 - 同盟が第24回臨時大会で解散。中立労連が解散。
  • 1987年11月20日午前 - 全民労協が第6回総会で解散。
  • 1987年11月20日午後 - 全日本民間労働組合連合会(連合、民間連合、全民労連)の結成大会を開催。55単産539万人が参加。初代会長は竪山利文(電機労連)、事務局長は山田精吾(ゼンセン同盟)。

出典[編集]

関連項目[編集]

関連文献[編集]

  • 竪山利文編著『労働戦線統一宣言』(日本評論社、1983年)
  • 滝逸郎『労働戦線の右翼的再編と全民労協』(新日本出版社、1983年)
  • 滝逸郎編著『労働組合情報――総評運動右転落の軌跡』(学習の友社、1984年)
  • 矢加部勝美編著『全民労協の研究』(日本生産性本部、1985年)
  • 芦村庸介編著『全民労協運動史』(全民労協運動史刊行委員会、1992年)