加藤佑治
加藤 佑治(かとう ゆうじ、1930年7月20日 - 1999年2月12日[1])は、経済学者。専修大学経済学部教授。専門は社会政策、労働問題。社会政策学会幹事、土地制度史学会評議員[2]。
経歴[編集]
東京・練馬生まれ。1953年立教大学経済学部卒業。青木書店編集部に勤務。1957年日本近代史研究会に勤務。1961年港区立城南中学校社会科教師(1963年退職)。専修大学大学院経済学研究科修士課程入学[1]。大友福夫に師事[3]。1964年専修大学大学院経済学研究科修士課程修了、博士課程入学。専修大学経済学部助手。1967年専修大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。1968年専修大学経済学部専任講師、1970年助教授、1976年教授[1]。1979年専修大学社会科学研究所事務局長[3]。1980-81年イギリスに留学[1]。1983-84年専修大学教員組合書記長[3]。1989年「現代日本における不安定就業労働者」で経済学博士(日本大学)[4]。1994年ベルギーに入学[1]。
50年代に労働運動史研究会(大河内一男会長、塩田庄兵衛事務局長)の事務局員を務めた[5]。1985年から88年に土地制度史学会の幹事、1985年から87年に編集委員を務めた[1]。1988年から社会政策学会の幹事、1992年から94年に代表幹事を務めた[1]。1989年から労働運動総合研究所常任理事・機関誌編集委員を務め[2]、『労働総研クォータリー』を主宰した[3]。1994年から96年に日本学術会議経済政策研究連絡委員会委員を務めた[1]。
人物[編集]
大友福夫[3]、山田盛太郎の門下生[6]。専修大学大学院在籍中に労働問題を専攻したが、山田の再生産論を受講した。専修大学経済学部助手になってから社会科学研究所員として山田所長のもとで共同研究に参加した[7]。
労働経済学の立場から寄せ場を研究した業績がある[8]。山谷の貧困の実態を調査した『山谷――失業の現代的意味(上・下)』(江口英一、西岡幸泰共編著、未來社、1979年)、『現代日本における不安定就業労働者(上・下)』(御茶の水書房、1982年)は『戦後日本貧困問題基本文献集』(杉村宏監修、日本図書センター、2012-2013年)に収録された。
著書[編集]
単著[編集]
- 『日本帝国主義下の労働政策――全般的労働義務制の史的究明』(御茶の水書房、1970年)
- 『現代日本における不安定就業労働者(上・下)』(御茶の水書房、1982年)
- 増補版『現代日本における不安定就業労働者』(御茶の水書房、1987年、増補改訂版1991年)
共編著[編集]
- 『山谷――失業の現代的意味(上・下)』(江口英一、西岡幸泰共編著、未來社[専修大学社会科学研究叢書]、1979年)
- 『ホワイトカラー――銀行・商社・損保の労働者たち』(牧野富夫共編著、新日本出版社、1990年)
訳書[編集]
- シァー・エム・レーヴィン稿『ナロードニキ主義――一九世紀七〇年代の革命運動』(ソヴェト史学研究会[ソヴェト史学資料]、1958年)
監修[編集]
- 労働運動総合研究所編『フレキシビリティー 今日の派遣労働者』(新日本出版社、1991年)
- 労働運動総合研究所編『規制緩和と雇用・失業問題』(内山昂共同監修、新日本出版社、1997年)
出典[編集]
- ↑ a b c d e f g h i 「故 加藤佑治教授 履歴・業績」『専修経済学論集』第34巻第1号(通巻73号)、1999年7月
- ↑ a b 加藤佑治 専修大学
- ↑ a b c d e 泉武夫「加藤佑治教授追悼記念号に寄せて」『専修経済学論集』第34巻第1号(通巻73号)、1999年7月
- ↑ CiNii 博士論文
- ↑ 栗木安延「畏友 加藤佑治教授の回想譜」『専修経済学論集』第34巻第1号(通巻73号)、1999年7月
- ↑ 小林賢齊、保志恂、南克巳、鍋島力也、二瓶剛男編『山田盛太郎著作集 第1巻』岩波書店、1983年、ⅱ頁
- ↑ 加藤佑治「山田盛太郎先生の想い出」『専修大学社会科学研究所月報』No.212、1981年4月
- ↑ 渡辺拓也「飯場の労働文化――労働者の行動様式の維持と再生産(PDF)」『労働社会学研究』第10号、2009年