南克巳

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南 克巳(みなみ かつみ、1931年 - 2019年[1])は、マルクス経済学者。千葉大学名誉教授[2]。専攻は理論経済学・戦後資本主義論[3]

経歴[編集]

兵庫県生まれ[4]。1953年東京大学経済学部卒業[5]。東京大学大学院で山田盛太郎のゼミに所属。二瓶敏は「55年に大学院に入学したところ、教養学部に同じ年に入学して学生運動でも一緒だった南克巳さんと金子ハルオさんに再会しました。南さんは私より2年前に大学院に進学して山田ゼミに所属していましたが、恐慌論をテーマとした修士論文で宇野弘蔵批判をしたために、宇野さんに憎まれ、博士課程進学を阻まれて浪人中でした」と語っている[6]

神奈川大学専任講師[7]、同大学法経学部助教授[5]法政大学経済学部教授[3]千葉大学教授を務めた[8]

人物[編集]

山田盛太郎の一番弟子で講座派の戦後の後継者[9]宇高基輔の門下生でもある[10]土地制度史学会の理事を務め[11]、1963年に山田が同学会のメンバーを母体に発足させた「再生産構造研究会」に参加した[6]。同じく山田門下の古川哲と「冷戦研究会」を主催した。弟子に杉山清名城大学経営学部教授)がいる[12]中村静治は自著『戦後日本の技術革新』(大月書店、1979年)について、「マルクス学派では南克巳氏や島崎美代子氏に代表される「山田(盛太郎)シューレ」といいますか、「土地制度史学派」といいますか、ともかくこの学会に属する方々の戦後日本資本主義分析をかなり意識し、問題だというところを浮き出しておくということです」と述べている[13]北村貞夫は山田の継承者について、「山田教授の見解を忠実に継承しようとするもので、南克巳教授のほか、島崎美代子・鍋島力也二瓶敏らの諸氏が、これに属するであろう」と述べている[14]

論文に「『資本論』における恐慌理論の基本構成」(宇高基輔との共著、『土地制度史学』第4号、1959年)、「『帝国主義論』と国家独占資本主義」(『土地制度史学』第23号、1964年)、「『資本論』体系の発展としての『帝国主義論』」(宇佐美誠次郎、宇高基輔、島恭彦編『マルクス経済学体系 第Ⅲ巻 帝国主義論』有斐閣、1966年)、「アメリカ資本主義の歴史的段階―戦後=『冷戦』体制の性格規定」(『土地制度史学』第47号、1970年)、「戦後資本主義世界再編の基本的性格―アメリカの対西欧展開を中心として」(『経済志林』第42巻第3号・第43巻第2号、1974・1975年)、「戦後重化学工業段階の歴史的地位―旧軍封構成および戦後=『冷戦』体制との連繋」(島恭彦、宇高基輔、大橋隆憲、宇佐美誠次郎編『新マルクス経済学講座 第5巻 戦後日本資本主義の構造』有斐閣、1976年)、「冷戦体制解体とME=情報革命」(『土地制度史学』第147号、1995年)などがある。岩波文庫の『日本資本主義分析』の解説を執筆している。

著書[編集]

出典[編集]

  1. 後藤康夫「マルクス経済学の21世紀展開の試み : 南克巳の自選著作集プランについて」『経済志林』第89巻第2号、2022年3月
  2. 藤岡惇「基礎研だより」『経済科学通信』第86号、1998年4月
  3. a b 島恭彦、宇高基輔、大橋隆憲、宇佐美誠次郎編『新マルクス経済学講座 第5巻 戦後日本資本主義の構造』有斐閣、1976年
  4. 渡辺佐平編『論争・現代の経済理論』日本評論新社、1962年
  5. a b 赤松要、堀江薫雄、名和統一、大来佐武郎監修『講座 国際経済 第5巻 帝国主義と後進国開発』有斐閣、1962年
  6. a b 二瓶敏、矢吹満男、泉武夫「二瓶敏教授に聞く――戦後日本資本主義論争の回顧と展望PDF」『専修大学社会科学研究所月報』No.456、2001年6月
  7. 岡野鑑記編『日本経済の成長と構造』酒井書店、1961年
  8. 『湾岸戦争を問う』発行:経済理論学会「湾岸戦争即時停戦アピール有志の会」、製作:勁草出版サービスセンター、1991年
  9. 坂井昭夫、岩垂弘、上島武、松村文武『冷戦後の世界と日本――ティーチイン大阪経大』同文館出版、1992年
  10. 古川哲、南克巳編『帝国主義の研究』日本評論社、1975年
  11. 大石嘉一郎「追悼特集にあたってPDF」『土地制度史学』第93号、1981年10月
  12. 杉山清「研究者への軌跡の一省察:法政大学社会学部から同大学院までの経緯の寸描PDF」『名城論叢』第19巻第4号、2019年3月
  13. 中村静治『現代資本主義論争――80年代の経済学のために』青木書店、1981年、37-38頁
  14. 北村貞夫「戦後再生産構造分析の基本視角」『龍谷大学経済経営論集』第18巻第3号、1978年12月