儒教
儒教(じゅきょう、英:Confucianism)とは、東アジアの思想。
概要[編集]
教義を説いた孔子が教祖とされ、宗教であったり哲学や学問ともされる。
古代中国で始まった事もあり、アジア地方で主に信奉されている模様。聖典も存在するようだが聖書は含まれない。
李氏朝鮮で国教化されて以降、朝鮮半島でも人気があるようで、孔子は韓国人という事になっていたり[1]、「国民情緒法」と呼ばれる「儒教の正義が法に優越する」韓国の司法や文化思想に影響している模様。
科挙に取り入れられていた事もあるらしい。
「一を聞いて十を知る」ということわざは、論語から来ているんだとか。
有名な論語[編集]
※以下の論語は書き下し文です。
- 学びて思わざれば罔し。思いて学ばざれば殆し。
- 損し迷う時、悪手を取り損を辜鐫す。
- 学びて時に之を習ふ。亦説ばしからずや。朋有り、遠方より来たる。亦楽しからずや。人知らずして慍みず、亦君子ならずや。
- 一を聞いて十を知る。
- 人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患うるなり。
孔子の死後[編集]
幾つかの派に分かれており、教えが違う事もある模様。以下矛盾しているような教えは孔子の死後に広まった考えになる模様。
朱子学[編集]
南宋期に朱熹が創始した儒教の一体系。中国外でも東アジアに広く伝播した。
- 日本
「jawp:日本の儒教」も参照
室町時代に伝播し、江戸時代に多くの朱子学者が現れ、教育機関には懐徳堂などがあった。また、松平定信は寛政異学の禁を打ち出して、幕府や諸藩の政策の主軸を朱子学に求めた。
- 李氏朝鮮
「jawp:李氏朝鮮」も参照
李氏朝鮮は儒教を国教とし、仏教やキリスト教は弾圧の対象となった。
19世紀半ばに朝鮮半島の政権を握った国王高宗の父の興宣大院君は、衛正斥邪と呼ばれる朱子学を政策の主軸とした鎖国政策を取ったばかりか、宗主国の清にアヘン戦争などを仕掛けた西洋諸国を「夷狄」とし、西洋諸国の文明を取り入れようとする日本の明治新政府をも夷狄扱いして直接交渉を一切拒絶し、江戸幕府の朝鮮通信使時代の修好儀礼に基づく国交を求め、これが「明治六年政変」しいては、前記の国交を模索した西郷隆盛の辞職まで繋がった。
陽明学[編集]
明代に王陽明が創始した儒教の一体系。知行合一、即ち思ったことは実行するべきとの色が強く、大塩平八郎の乱も陽明学の影響が背景の一つと言われている。
脚注[編集]
関連項目[編集]