会寧市
会寧市(ふぇりょん-し/회령시)は朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)北部に位置する街。中国との国境を接している街である。
会寧市中心部 | |
位置 | |
---|---|
各種表記 | |
チョソングル | 회령시 |
漢字: | 會寧市 |
日本語読み仮名: | かいねい-し |
片仮名転写: | フェリョン-シ |
ローマ字転写 (RR): | Hoeryeong-Si |
ローマ字転写 (MR): | Hoeryŏng-si |
英語表記: | Hoeryong-City |
統計(2008年) | |
面積: | 1,750 km2 |
総人口: | 153,532 人 |
行政 | |
国: | 朝鮮民主主義人民共和国 |
上位自治体: | 咸鏡北道 |
地理[編集]
咸鏡山脈が市域の中央を通っているため、1000m級の山々も擁している。市境界部から東側に向かってクル山・バンハク嶺・カチ峰・オソク山が、南側へはキデ峰・シン峰・武陵山・ミンサ峰・カラジ峰などなどがある。また、先述した咸鏡山脈が通っている中央部には、サンソン山・オボン山・トゥンリョンゴル山등령골산などがある。
有名な河川としては市域の北側を豆満江が流れている。また、その豆満江の支流として会寧川・甫乙川・八乙川などが流れている。豆満江沿岸には会寧盆地が形成されており、沖積平野が発達している。またその平野を流れる八乙川にチャンホ貯水池がある。基本地盤は花崗片麻岩で、土壌の大部分は褐色山林土で、河川の運んできた土が分布している。有煙炭・コバルト・石灰石などの鉱産資源にも富んでいる。
茂山郡、南側は富寧郡と清津市、東側を慶興郡・慶源郡・穏城郡と接している。北側は豆満江を挟んで中華人民共和国吉林省延辺朝鮮族自治州龍井市と接している。
市の北側地域(太平洋戦争終戦当時は鍾城郡行営面)には22号管理所(会寧政治犯収容所)がかつて存在していた。
年間平均気温は5.5℃、1月の平均気温は-12.6℃、8月の平均気温は21.1℃である。年平均降水量は500㎜である。山林は市の全体面積のうち80%を占めている。 マツや、オークが多く生えており、白樺なんかも生えていたりするを。ら.
下位行政区画[編集]
市域の下部に19洞28里を擁している。
- 江岸洞(カンアンドン)
- 鶏林洞(ケリムドン)
- 弓心洞(クンシムドン)
- 南門洞(ナンムンドン)
- 東明洞(トンミョンドン)
- 望陽洞(マンヤンドン)
- 甫乙洞(ポウルトン)
- 産業洞(サノプトン)
- セマウル洞(セマウルトン)
- 城川洞(ソンチョンドン)
- 細川洞(セチョンドン)
- 水北洞(スブクトン)
- 新川洞(シンチョンドン)
- 駅前洞(ヨクチョンドン)
- 鰲山徳洞(オサンドクトン)
- 遊仙洞(ユソンドン)
- 中島洞(チュンドドン)
- 仲峯洞(チュンボンドン)
- 七月八日洞(チルォルパリルトン)
- 渓上里(ケサンニ)
- 渓下里(ケハリ)
- 窟山里(クルサンニ)
- 金生里(クムセンニ)
- 南山里(ナムサンニ)
- 大徳里(テドンニ)
- 徳興里(トクンニ)
- 洛生里(ラクセンニ)
- 龍川里(リョンチョンニ)
- 茂山里(ムサンニ)
- 防垣里(パンウォンニ)
- 碧城里(ピョクソンニ)
- 沙乙里(サウルリ)
- 城東里(ソンドンニ)
- 城北里(ソンブンニ)
- 松鶴里(ソンハンニ)
- 新興里(シヌンニ)
- 永綏里(ヨンスリ)
- 五柳里(オリュリ)
- 五鳳里(オボンニ)
- 元山里(ウォンサンニ)
- 仁渓里(インゲリ)
- 蒼苔里(チャンテリ)
- 彰孝里(チャンヒョリ)
- 豊山里(プンサンニ)
- 鶴浦里(ハクポリ)
- 行営里(ヘンヨンニ)
- 鴻山里(ホンサンニ)
歴史[編集]
高麗末期に、後に李氏朝鮮を建国し太祖王となる李成桂の父親李子春の時代には朝鮮の影響下であった。そして、李氏朝鮮建国後太祖・李成桂が豆満江下流まで朝鮮領土に正式に編入した。 しかし、その後も女真族の侵入があったため、世宗王は金宗瑞を介して1434年から10年以上に渡って、この地域を積極的に経営。その結果によって豆満江沿岸に置かれていた行政区・六鎮(鍾城・穩城・会寧・慶源・慶興・富寧)の一つに数えられていた。
現在では、北朝鮮最大の強制収容所である「22号管理所」があったことで知られており、そこには5万人の収監者がいたとされる。現在は咸鏡南道耀徳郡の収容所や平安南道价川市にある収容所に移されたと言われている。
李氏朝鮮の時代には流罪の地とされており、西人と東人の党争において、ささいな罪で流されたものも少なくなく、その多くが国政に怨みを抱いていた。文禄・慶長の役の際、鞠景仁(グク・ギョンイン)という者が配流されており、不満分子を糾合して府使や二人の王子(臨海君と順和君)を加藤清正に差し出した。この功により鞠景仁が市政を任されることになった。
戦前戦中には日本軍の駐屯地があり、道都の清津にも近く、大日本帝国陸軍第19師団司令部が置かれたこともあり、兵士の家族ら日本人も多く暮らしていたという。
年表[編集]
- 1914年4月1日 - 郡面併合により、咸鏡北道会寧郡の一部(観海面)が富寧郡に編入。会寧郡に以下の面が成立。(8面)
- 会寧面・碧城面・雲頭面・鳳儀面・昌斗面・龍興面・八乙面・花豊面
- 1931年4月1日 - 会寧面が会寧邑に昇格。(1邑7面)
- 1939年 - 雲頭面・鳳儀面が合併し、甫乙面が発足。(1邑6面)
- 1947年 - 茂山郡永豊面の一部を編入。(1邑7面)
- 1949年 - 会寧邑が会寧面に降格。(8面)
- 1952年12月 - 郡面里統廃合により、咸鏡北道会寧郡会寧面・昌斗面・花豊面および八乙面・碧城面の各一部、富寧郡西上面の一部、鍾城郡南山面の一部地域をもって、会寧郡を設置。会寧郡に以下の邑・労働者区・里が成立。(1邑1労働者区15里)
- 会寧邑・徳興里・豊山里・茂山里・蒼苔里・元山里・仁渓里・鶴浦里・細川里・大徳里・彰孝里・五鳳里・金生里・弓心里・沙乙里・新興里・望陽労働者区
- 1953年 - 徳興里の一部が遊仙郡永綏里に編入。(1邑1労働者区15里)
- 1954年10月 - 細川里が細川労働者区に昇格。(1邑2労働者区14里)
- 1961年5月 - 弓心里が弓心労働者区に昇格。(1邑3労働者区13里)
- 1974年5月 - 遊仙郡遊仙邑・永綏里・松鶴里・城北里・五柳里・南山里・城東里・渓下里・碧城里・鴻山里・龍川里・渓上里、鍾城郡洛生里・行営里・防垣里・窟山里・仲峯労働者区を編入。(1邑5労働者区28里)
- 遊仙邑が遊仙労働者区に降格。
- 1989年7月 (1邑7労働者区28里)
- 会寧邑・大徳里の各一部が合併し、南門労働者区が発足。
- 金生里の一部が分立し、水北労働者区が発足。
- 1991年7月 - 会寧郡が会寧市に昇格。(18洞28里)
- 会寧邑が分割され、鰲山徳洞・城川洞・駅前洞・東明洞が発足。
- 遊仙労働者区が分割され、遊仙洞・鶏林洞・甫乙洞が発足。
- 南門労働者区が分割され、南門洞・産業洞が発足。
- 細川労働者区が分割され、細川洞・新川洞が発足。
- 水北労働者区が分割され、水北洞・七月八日洞が発足。
- 五鳳里・徳興里の各一部が合併し、江岸洞が発足。
- 五鳳里・徳興里の各一部が合併し、セマウル洞が発足。
- 望陽労働者区が望陽洞に昇格。
- 弓心労働者区が弓心洞に昇格。
- 仲峯労働者区が仲峯洞に昇格。
- 1992年12月 - 大徳里の一部が分立し、中島洞が発足。(19洞28里)
遊仙郡[編集]
詳細は「遊仙郡」を参照
- 1952年12月 - 郡面里統廃合により、咸鏡北道会寧郡甫乙面・永豊面および碧城面の一部、茂山郡茂山面の一部地域をもって、遊仙郡を設置。遊仙郡に以下の邑・里が成立。(1邑14里)
- 遊仙邑・永綏里・松鶴里・城北里・五柳里・南山里・芝草里・城東里・明臣里・渓下里・西湖里・碧城里・鴻山里・龍川里・渓上里
- 1953年 - 会寧郡徳興里の一部が永綏里に編入。(1邑14里)
- 1954年10月 - 西湖里・芝草里が茂山郡に編入。(1邑12里)
- 1965年 - 明臣里が松鶴里に編入。(1邑11里)
- 1974年5月 - 遊仙郡廃止。
- 遊仙邑・永綏里・松鶴里・城北里・五柳里・南山里・城東里・渓下里・碧城里・鴻山里・龍川里・渓上里が会寧郡に編入。
交通[編集]
鉄道[編集]
道路[編集]
会寧市中心部から清津・羅先・穏城・茂山方面へと伸びる道路がある。豆満江は船での行き来がある。
産業[編集]
会寧市の主要産業は農業と鉱工業である。農業経営地は市の全体面積のうち18%を占め、そのうち80%が畑である。主要な穀物はトウモロコシ・米・大豆・じゃがいも・麦などで 、野菜は温熱条件が良いキュウリ・ナス・唐辛子などが主に栽培されている。会寧の葉たばこは、遊仙地域一帯を中心に栽培されており、生産量が多く品質も優れているため、外国に輸出するほどである。 果樹業はこの地帯は会寧白杏の産地として名前が知られており、現物のままだったり加工されたりして多く生産されている。 他にはビートが特産物として知られている。
自然草地を利用して乳牛・羊・ヤギ・ウサギ・豚・鶏などが多く飼育されており、会寧鶏工場と会寧アヒル工場があり、鶏卵と各種肉・乳製品を供給している。
会寧をはじめとする咸鏡北道の豊富な地下資源が埋蔵されている。 石炭は鶴浦・弓心・会寧・五鳳・化成・龍北青年・サンファ青年炭鉱などで採掘されている。中島石灰石鉱山では、高品質の石灰石を生産している。
工業は会寧炭鉱機械工場をはじめとして会寧坑木作業所・会寧穀産工場・会寧製薬工場があるほか、会寧白杏加工工場をはじめとする、食料品加工基地、生地・日用品・建材・耐熱レンガ・ガラス窓・化学・家具工場など、中小規模の地方産業工場が建設され、稼働している。ここで生産されたクラフト生地と会寧の高麗青磁の壷が広く知られている。とりわけ、会寧の高麗青磁は国内外にもよく知られた逸品である。
教育機関[編集]
- 金正淑教員大学
- 鰲山徳高等中学校
- 会寧高等中学校
- 遊仙高等中学校
観光地[編集]
- 会寧故郷家 - 当地会寧は、偉大な金日成主席の1人目の夫人であられ、偉大な領導者金正日将軍の生母であられる、抗日の女性英雄金正淑女史の出生地であり、女史の生まれた生家も万景台故郷家のように整備されている。また、会寧はそう言った謂れもあり、軍事境界線以北地域でも比較的街が整っている場所でもある。
- 金正淑同志革命事跡館:1974年10月に開館。朝鮮の抗日女性英雄金正淑女史の資料を展示。会寧故郷家に隣接している。
- 鰲山徳:市の中心部に在る小丘。金正淑女史の銅像と事績の碑がある。ここから生産される白杏はかつて全朝鮮の特産物として名声を受けたことがある。風光明媚なことから、かつては「咸北名勝」の称号を受けていた。
- 会寧橋頭:会寧市の中心部から西北部に約5kmの場所に位置する。豆満江に架かるコンクリート製の道路橋。中華人民共和国吉林省龍井市と繋がっている。
- 会寧人民図書館:会寧市城川洞にある図書館。1993年12月24日開館。朝鮮の中にある図書館のなかでは建物が華麗とされている。
- ホテル:
- 会寧ホテル:会寧市の中心から東南部に約3kmの場所にある。客室は34室。
- 鰲山観光ホテル:鰲山徳の脇にある。客室は21室。