中野一安
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中野 一安(なかの かずやす、? - 慶長3年12月29日(1599年1月25日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田氏の家臣。
略歴[編集]
通称は又兵衛尉。織田信秀に仕えて、三河国で行われた小豆坂の戦いに参加し、その活躍から小豆坂七本槍の1人に数えられる。信秀の没後はその跡を継いだ信長に仕え、弓衆を務めた。元亀元年(1570年)9月に信長の石山本願寺攻めに参加し、天正6年(1578年)12月に信長から離反した摂津国有岡城の荒木村重攻めでは火矢をもって城下の放火を行なっている[1]。
天正8年(1580年)8月には、信長により追放となった佐久間信盛に対して、松井友閑や楠木正虎と共に譴責の使者を務めている(『信長公記』)。天正9年(1581年)2月、信長の京都御馬揃えに参加し、弓衆100名を率いて行進している[1]。
天正10年(1582年)6月の本能寺の変の際の動向は不明だが、信長とは別行動していたのか生き延びて、信長の次男・信雄に仕えて尾張国の高針郷で600貫文を知行している[1]。
慶長3年(1598年)12月29日に死去した[1]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- 岡田正人 『織田信長総合事典』 雄山閣出版、1999年。 。