中村哲 (医師)

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中村 哲(なかむら てつ、1946年9月15日 - 2019年12月4日)は、日本医師。「ペシャワール会」(福岡市)の現地代表。アフガニスタンで医療活動を行ってきたり、現地の水不足や感染症を防止するため、アフガニスタンで井戸を掘る活動を行ってきたことで知られる。

概要[編集]

九州大学医学部を卒業後、1984年パキスタン北西部のペシャワルハンセン病患者らへの医療活動を開始する。内戦が続くアフガンから流入する多数の難民への治療を行ない、1991年にはアフガン東部ナンガルハル州に診療所を開設した。

2000年にアフガンで大旱魃が発生し、水不足で感染症が蔓延して幼児の犠牲者が特に多く出るという事態に陥ると、中村は水を確保するために日本人の若者ボランティアらを募って井戸を掘り始めた。2003年には用水路の建設に着手し、中村自身も河川工学を学んで高価な機械が無くても人力でできる工法を試行錯誤したという。中村の貢献は医療分野に留まらなかったが、その行動は危険とも隣り合わせで、2008年8月にペシャワール会の当時31歳の日本人男性スタッフが武装勢力に襲撃されて死亡する事件が起きると、同会は日本人の現地入りを制限する方針をとったが、中村は初志貫徹のために現地スタッフを陣頭指揮した。アフガン東部は荒涼地のため産業が少なく、貧困層が多いが、中村はその雇用創出にも貢献している。

2018年にはアフガン政府から勲章を授与されている。2019年10月7日、アフガンのアシュラフ・ガニー大統領は中村の長年の活動を評価して名誉市民権を授与し、大統領自ら中村に市民証を渡したという。それから2ヵ月後の2019年12月4日、アフガニスタン東部のナンガルハル州ジャララバードで車による移動中に何者かに銃撃されて死亡した。即死ではなく、当初は右胸に銃弾を1発受けて生存しており、ジャララバードの病院で手術を受けたが、その後さらに治療を受けるために病院から首都カブール北方のバグラム米空軍基地に搬送される途中で死亡したのだとされている。73歳没。死因に関してはアフガン保健省幹部によると失血死とされている。

銃撃したのは複数の男たちで、日本製の乗用車に乗り、車を待ち伏せし、車の進行を妨害した上で、中村の腹部に銃弾2発を至近距離から撃つなど強い殺意がうかがえる。武装集団は男4人前後で、銃撃後に全員が死亡したかどうか確認していた。

中村はお金はもうからない危険の多い世界で、人々の健康・幸せのために30年以上活動してきた。アフガニスタンや日本のみならず、世界中からその死を悼む声が上がっている。

中村の遺体は12月8日成田空港に帰国し、翌12月9日には福岡空港に到着し、いずれも多くの人々に盛大に迎えられている。

経歴[編集]

事件捜査[編集]

銃撃犯と思われる人物2名を地元警察が拘束した[5]。警察は背後関係を調べている。

福岡県警察刑法の国外犯規定による殺人容疑で、2019年12月10日、遺体解剖を行う[6]

外部リンク[編集]

注・リファレンス[編集]

  1. 福岡アジア文化賞福岡アジア文化賞委員会
  2. 中村哲氏に菊池寛賞西日本新聞、2013年10月16日
  3. 中村医師に名誉市民権日本経済新聞、2019年10月10日
  4. 中村哲医師、アフガンで銃撃され死亡日本経済新聞、2019年12月4日
  5. 中村哲さん銃撃に関わった疑いで2人逮捕朝日新聞、2019年12月9日
  6. 福岡県警が司法解剖