上勝町
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概要[編集]
昭和30年(1955年)7月20日に福原村と高鉾村が合体して上勝町が誕生する。
四国に所在する全ての町の中で最も住民人口が少ないらしい。人口密度は13.1人/km²だそうだ。
町内にゴミ回収ステーションがなく、町民が出したゴミは町民自身が直接ごみ処理施設に持ち込むなどしているらしい。
公式サイトを見ると町民が過疎っているとは思えないほどとても各コンテンツが充実しており、この町の役場はすごく町政に精力的で住みやすそうだな、と思ったりする。
町域の大半は山地であり、集落は福原地区(勝浦川の最上流域)に存在する。西境を画する1496メートルの雲早山や1439メートルの高丸山などの山地斜面にも集落が存在する。隣の勝浦町が蜜柑を特産品にしている関係から、福原地区の下流域では勝浦町と共に蜜柑栽培も行なわれている。
町内の見所には国指定重要文化財の田中家住宅があり、ここには四国88ヶ所の第20番札所の鶴林寺奥の院「慈眼寺」がある。