三鷹跨線人道橋
閉鎖直後の跨線橋(2023年12月) | |
読み | みたかこせんじんどうきょう |
架橋路線 | 中央線快速電車 |
所在地 | 東京都三鷹市上連雀1丁目 |
管理者 | 東日本旅客鉄道八王子支社 |
アクセス | JC JB 三鷹駅より徒歩7分 ムーバス境・三鷹循環 跨線橋前バス停留所より徒歩0分 |
三鷹跨線人道橋(みたかこせんじんどうきょう、以下「跨線橋」と省略する)とは、東京都三鷹市にある跨線橋である。別名「三鷹電車庫跨線橋」。2023年12月に供用を終了した。
概要[編集]
JR中央線に架かる跨線橋。自動車類の通行は不可。上連雀地域の住民の生活道路として利用されている。
文豪・太宰治ゆかりの跨線橋であり[2]、見晴らしがよいことからよく知人に案内していたという[3]。そんな跨線橋からは、現在は西方に武蔵境駅や玉の山々を眺めることができ、日の入りの観察にも適している。
また、鉄道写真の有名撮影スポットとしてもこの跨線橋は知られており、この跨線橋からは三鷹駅を発車する電車や三鷹車両センター構内が観察できる。そのため子供連れも大変多く、休日になると家族連れや鉄道愛好家たちで賑う。人道橋は廃レールから構成されている[4]。
歴史[編集]
- 1929年(昭和4年):旧鉄道省(のちの日本国有鉄道)が三鷹電車庫(現:三鷹車両センター)建設の際に設置[4]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継[1]。
- 2022年(令和4年)1月27日:跨線橋の一部をJR東日本から三鷹市へ保存のため譲り受けると覚書を交わす[5]。
- 2023年(令和5年)12月10日:午前10時30分ごろに階段部に柵が設けられ供用を終了。94年間の歴史に幕を閉じた[6]。
撤去計画とその後[編集]
しかし、建設から既に100年近く経過していることから老朽化や劣化は否めず、さらに現在の東京都の耐震基準を満たしていないことから、利用者や鉄道の安定輸送に支障をきたし災害時に危険だという事実も看過できる問題ではなかった。大規模なメンテナンス工事を取り行うとしても多額の費用が必要であることや、太宰治ゆかりの跨線橋としての原型がとどめられなくなるという側面もあり、管理者のJR東日本は2021年6月に三鷹市に跨線橋の無償譲渡を打診した。三鷹市は跨線橋のJR東日本による引き続きの管理を要望したが、JR東日本はこれに難色を示した。最終的には撤去の方針で取りまとめ、JR東日本と三鷹市が連携して「保存や映像・画像等での記録など、記憶と記録を残す取り組み」を行うとした[1]。
その後保存の方針がまとまり、2022年(令和4年)1月27日、橋脚の一部を三鷹市が用意した近くの土地に保存することで合意した。また、階段などはそのまま残すことで合意した[5]。
撤去工事が開始前の2023年12月10日に跨線橋は閉鎖され[6]、12月15日から17日に掛けて応募者限定で渡り納めのイベントが開かれた。[7][8]
脚注[編集]
- ↑ a b c “三鷹こ線人道橋の今後の取り扱いについて”. 三鷹市 (2021年9月7日). 2023年3月11日確認。
- ↑ “太宰も愛した跨線橋よグッド・バイ 三鷹の「撮り鉄」スポット JR東、解体・撤去方針決定”. 東京新聞. (2021年9月12日) 2023年3月11日閲覧。
- ↑ “【悲報】三鷹の“絶景スポット”「跨線橋」の解体・撤去方針が決定したみたい 太宰治も愛した橋”. むーなび (2021年9月14日). 2023年3月11日確認。
- ↑ a b “今後撤去予定の「三鷹こ線人道橋」”. 俺の居場所 (2022年5月22日). 2023年3月11日確認。
- ↑ a b “太宰治ゆかり「三鷹跨線橋」の一部を移設保存へ JR東と市が覚書 撤去時期は未定”. 東京新聞. (2022年2月11日) 2023年3月11日閲覧。
- ↑ a b “三鷹こ線人道橋の撤去に着手します” (日本語) (PDF) (プレスリリース), 東日本旅客鉄道八王子支社, (2023年9月21日), オリジナルの2023年10月10日時点によるアーカイブ。 2023年10月21日閲覧。
- ↑ “【今日でお別れ】太宰も愛した「三鷹跨線橋」94年の歴史に幕 今後の動きは?”. 鉄道ホビタス. (2023年12月10日) 2023年12月31日閲覧。
- ↑ “さらば、太宰愛した跨線橋 「渡り納め」イベント”. 毎日新聞. (2023年12月19日) 2023年12月31日閲覧。