三河三宅氏
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三河三宅氏(みかわみやけし)とは、日本の氏族である。徳川氏の家臣で、江戸時代には大名として最終的に三河国田原藩(1万2000石)を領した。家格は陣屋で譜代大名。江戸城内の詰間は帝鑑間。家紋は三宅輪宝(島形の内児の字)。
概要[編集]
藤原氏の支流とされ、三宅は備前国三宅(現在の岡山県玉野市)にちなむといわれる。三宅康貞が徳川家康に仕えて偏諱を授かったのが運の始まりで、家康が天下を取ると慶長9年(1604年)に三河挙母蕃(現在の愛知県豊田市)に1万石を与えられて大名となった。以後、子孫は伊勢亀山藩(現在の三重県亀山市)、挙母藩を経て、寛文4年(1664年)に1万2000石で田原藩に入り、以後は定着した。
藩政で特に見るところは無いが、この藩は実高が表高より少ない貧乏藩であったことで知られている。また、家老に江戸時代後期の著名な洋学者・渡辺崋山を輩出したことでも知られている。