三好家成立記
ナビゲーションに移動
検索に移動
三好家成立記(みよしけせいりつき)とは、戦国時代の史料である。
概要[編集]
著者・成立年代[編集]
著者も成立年代も不明。著書では天正10年(1582年)11月7日の長宗我部元親による一宮成助殺害を最後にしており、3年後の豊臣秀吉による四国征伐に全く触れていないため、天正10年以降であることは確かである。
別称は『三好家成立之事』(みよしけせいりつのこと)。
内容[編集]
全1巻。阿波三好家の興亡を記した軍記で、三好実休(表記は義賢とも)が細川持隆を謀殺したことから始まる。その後、実休の兄・長慶が細川氏に代わって四国や畿内など12か国を支配する大勢力となり、京都において天下の沙汰を行なう経緯が描かれている。
しかし実休は戦死、長慶も病死して三好家は崩壊。その死を松永久秀は隠して篠原長房の活躍もあり、三好政権は維持される。しかし、篠原は実休の子・長治に討たれ、阿波国は大混乱となる。三好康長は織田信長に降り、長治は持隆の遺児・真之を擁した一宮成助らに殺された。
以後、信長に降った康長や十河存保らが阿波国を再支配しようと動くが、三好一族で内紛が相次ぎ、信長も本能寺の変で討たれて、それに乗じた長宗我部元親が阿波国に侵攻して、一宮成助を殺したところで終了している。最後に阿波細川氏、三好氏の略系図を載せている。
内容を一つ書きしており、ほぼ年代を追って記述しており、人間関係や合戦についてかなり細部にわたって精彩のある描写をしている。長慶はかなりの名君として賞賛する一方、長治については無道な愚君として批判している。
ただ、以下の点から信頼性に疑問がある。
- 実休の戦死が永禄3年(1560年)になっている[注 1]。
- 長慶の死後、その跡を継いだ「子の」三好義継も相次いで病死したことになっている[注 2]。
- 篠原長房の誅殺が元亀3年(1572年)になっている[注 3]。
- 織田信長の上洛が天正3年(1575年)になっている[注 4]。
- 天正10年に元親が阿波に侵攻した時点で、四国平定が完成したように記述されている[注 5]。