万見重元
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万見 重元 まんみ しげもと | |||||||||||||||||||
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万見 重元(まんみ しげもと)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田氏の家臣で、織田信長の小姓を務めた。
生涯[編集]
通称は仙千代[1]。
自らの署名においては「まん仙千代」とある(『法隆寺文書』)。別の記録では「マミ仙千代」とある(『孝親日記』)。
信長の小姓として近侍した時期は不明だが、史料上の初見は天正3年(1575年)10月11日付の堀秀政との連署奉書である(『国友共有文書』)。
『信長公記』によると、天正6年(1578年)1月、安土における自らの屋敷で、織田信忠の名物開きの茶会があったという。6月には播磨神吉城攻めの検使を務め、8月には安土城相撲興行の奉行や陸奥津軽の南部宮内少輔の饗応役などを務めている。12月、信長から離反した摂津有岡城主・荒木村重を攻める軍勢に従って参戦。菅屋長頼や堀秀政と共に鉄砲衆を率いて有岡城を攻撃するが、戦死した。30歳没。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- 岡田正人 『織田信長総合事典』 雄山閣出版、1999年。 。