一条信就
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一条 信就(いちじょう のぶなり、? - 天正10年3月10日(1582年4月2日))は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣。官途は上野介。
生涯[編集]
天正8年(1580年)9月以前に家督を父から譲られ、駿府城代と甲斐上野城主を兼務した。従兄弟の武田勝頼に仕えて政務を行なっている。
天正10年(1582年)2月に織田信長・徳川家康連合軍による武田征伐が開始されると、3月3日に居城の新府城の守備を諦めて自焼させた勝頼は逃亡を開始するが、『甲乱記』によると逃亡の途中に甲府城下の一条氏の館で休息したとされている。3月10日に家康の攻撃を受けて居城の上野城は降伏・開城を余儀なくされ、信就は父・信龍と共に処刑された。
一条家の遺臣の多くは、天正壬午の乱を経て甲斐国を支配した家康の家臣となった。