サマルカンド
サマルカンド(Samarkand)とは、中央アジアのウズベキスタン中部の古都である。タシケントの南西260キロメートル、標高740メートルに位置する。人口は2021年の時点で551,700人。サマルカンドは「人々の集まる町」を意味する。
概要[編集]
起源に関しては紀元前2000年頃、あるいは紀元前6世紀頃に建設されたと言われている。この地は紀元前5世紀頃に古代ペルシア領となり、州都として重視され、アジアと地中海世界の陸路交易ルートの一大拠点として発展を続けた。古くはマラカンダと呼ばれてシルクロードの隊商都市として繁栄する。
紀元前3世紀頃よりセレウコス朝、グレコ・バクトリア王国、大夏国の支配下にはいる。1世紀から3世紀前半まではクシャーナ朝、3世紀後半から4世紀はササン朝ペルシャ、5,6世紀はエフタル領であった。
8世紀にイスラム教勢力によって征服されると以後はイスラム勢力の中心地のひとつとなり、イスラム文化が繁栄する。10世紀以降、サーマーン朝、カラハン朝、ホラズム朝が支配した。この都市はそのために歴代イスラム勢力などの奪い合いや戦争が絶えず発生し、セルジューク・トルコやモンゴル帝国のチンギス・ハーンによるホラズム攻撃などで破壊された歴史もある。
しかし交易の拠点として重要視されていたことからそのたびに再興され、1369年にはティムールが建国したティムール帝国の首都に選ばれ、その下でサマルカンドは大いに繁栄した。だが、1405年にティムールが死去すると後継者争いが絶えず発生してティムール帝国は衰退し、16世紀になるとウズベク人のブハラ・ハン国に征服されて都市としては衰退した。
1868年以降はロシア帝国に支配され、1899年にタシケントと鉄道で結ばれ、1924年から1930年まではウズベク共和国の首都に選ばれる。ソ連解体後はウズベキスタン共和国の主要都市となる。2001年に市街が世界文化遺産に登録された。
絹織物や皮革などの伝統産業が盛んであり、「青の都」と呼ばれる。また、歴史ある都市であることからグル・エミル廟やシャーヒ・ジンダ廟など青のドームを持つティムール時代のイスラム建築群のほか、1428年のウルグベク天文台など建築物が多く存在し、中央アジア屈指の観光都市となっている。
地理[編集]
中央アジア、ウズベキスタンに位置する。