ちよ
ナビゲーションに移動
検索に移動
ちよ(大永6年(1526年) - ?)とは、後北条氏の一族で女性。北条氏綱の娘で北条氏康の妹。葛山氏元の正室。
略歴[編集]
大永6年(1526年)生まれ[1]。叔父に当たる葛山氏広の養子・氏元に嫁いだ。これは今川義元が氏綱と敵対して河東一乱が勃発し、さらに同時期に氏広が死去して後北条家・葛山氏の婚姻関係が断絶したことから、その修復を図って婚姻が結ばれたものと見られている。氏元との間には天文14年(1545年)に長女となるちやちが生まれており、この長女は後に瀬名信輝に嫁いでいる。氏元には他に子供がいるのだが、それがちよとの間に生まれたかどうかは不詳である[2]。瀬名信貞に嫁いだ次女・おふち(天文22年(1553年)生)と長男・松千代(天文19年(1550年)生)がちよの所生の可能性がある[3]。
永禄9年(1566年)12月の段階で生きていることは確認されている[1]。だが、その後は史料に登場しないので没年は不明である。ただ、元亀4年(1573年)2月に氏元が武田信玄によって自殺させられた際、『仏眼禅師語録』によると氏元の「家族」も自殺させられたという。自殺を命じられた理由は氏元が謀反を計画したためとされており、これが事実ならこのときにちよも自殺させられた可能性がある。