黒川武

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黒川 武(くろかわ たけし、1928年昭和3年)4月1日[1] - 2021年令和3年)7月28日)は、労働運動家。日本労働組合総評議会(総評)最後の議長。

経歴[編集]

群馬県出身。1945年旧制館林中学校卒業[2][3]。1946年帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)に入社、上野駅などで勤務[4]。1948年中央大学専門部商科卒業。神田駅助役を経て、1957年帝都高速度交通営団労働組合(営団地下鉄労組)執行委員、1962年同労組委員長。1974年日本私鉄労働組合総連合会(私鉄総連)副委員長[2]、1979年同委員長代理[4]、1980年同委員長。1983年日本労働組合総評議会(総評)議長。1987年11月の全日本民間労働組合連合会(民間連合)結成に貢献[2]。1988年私鉄総連会長[5]。1989年11月の総評解散とともに労働界を引退[2]総評センター常勤顧問[6]日本労働組合総連合会(連合)顧問[7]。のち私鉄総連顧問、運輸審議会委員[8]全労済協会顧問[9]。1999年勲一等瑞宝章を受章[2]

2021年7月28日に93歳で死去[4][10][11]

著書[編集]

  • 『権利闘争の前進をめざして――青木宗也先生還暦記念』(山本博、江田虎臣、武藤久丸山康雄真柄栄吉共編、エイデル研究所、1984年)

出典[編集]

  1. デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説 コトバンク
  2. a b c d e 高木郁朗監修、教育文化協会編『日本労働運動史事典』明石書店、2015年、84頁
  3. 芦村庸介『大企業労使の喧曄祭り――みこしを先導する若衆頭たち』日本労働協会、1982年
  4. a b c 最後の総評議長、黒川武氏が死去…93歳 読売新聞オンライン、2021年7月30日
  5. 仲衛『労働省研究』行研出版局、1990年
  6. 法政大学大原社会問題研究所編『日本労働年鑑 第60集 1990年版』労働旬報社、1990年
  7. 国民政治年鑑編集委員会編『国民政治年鑑 1990年版』日本社会党中央本部機関紙局、1990年
  8. 朝日新聞社編『朝日年鑑 キーパースン 1994年版』朝日新聞社、1994年
  9. 「絆を紡ぎ未来を奏でる勤労者ネットワークの構築」 : 財団法人全労済協会創立30周年記念誌PDF』全国勤労者福祉・共済振興協会、2013年4月
  10. 黒川武氏が死去 元総評議長 日本経済新聞、2021年7月31日
  11. 黒川武さん死去 朝日新聞デジタル、2021年7月31日