武藤久

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武藤 久(むとう ひさし、1928年 - )は、労働運動家。元・国鉄労働組合(国労)委員長。

大分県生まれ。1946年国鉄に入社。1969年国労本部に入り、企画部長を経て、1979年書記長[1]。1983年8月~1985年8月国労委員長[2]

国労本部内の富塚派のリーダーであった[3]。山崎の後任で企画部長・書記長・委員長を務めた山崎俊一も富塚派だった。

著書[編集]

  • 『権利闘争の前進をめざして――青木宗也先生還暦記念』(山本博、江田虎臣、丸山康雄真柄栄吉黒川武共編、エイデル研究所、1984年)
  • 『己を知らず敵をも知らず――国鉄労働組合運動-風雪の記録 自分史』(武藤久、2005年)

出典[編集]

  1. 日外アソシエーツ株式会社編『年刊人物情報事典 1981 下巻 (た~わ)』日外アソシエーツ、1982年
  2. 六本木敏鎌倉孝夫村上寛治中野洋佐藤芳夫高島喜久男『対談集 敵よりも一日ながく――総評解散と国鉄労働運動』社会評論社、1988年、104頁
  3. 秋山謙祐『語られなかった敗者の国鉄改革――「国労」元幹部が明かす分割民営化の内幕』情報センター出版局、2009年、109頁