黄皓
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黄 皓(こう こう、生没年不詳)は、中国の三国時代の蜀の宦官。皇帝・劉禅の寵愛を受けて権力を掌握し、政治を壟断して蜀漢の滅亡を招いた人物として著名である。
生涯[編集]
人にへつらい、付け入るのが得意な[1]典型的な悪人タイプであった。それでも董允の存命の間は黄門丞までにしかなれず[1]、政権は握れなかった。246年に董允が亡くなると黄門令に昇進し、国政に関与しだした[1]。董允の後任である陳祗が死去すると中常侍・奉車都尉となり、国政の実権を掌握した[1]。黄皓は劉禅の寵愛を後ろ盾にして皇族の劉永や羅憲・陳寿らを讒言して左遷や罷免に追い込んだ[1]。さらに諸葛瞻・董厥・樊建らも押さえ込み、最大の政敵であった姜維すら追放して代わりに右大将軍の閻宇を立てようとし、262年に姜維は黄皓を憎んで殺害しようとしたが、黄皓は劉禅に讒言を行ない、また劉禅に庇われて助けられた[1]。
263年の魏の侵攻では姜維の防衛強化を求める上奏文を握りつぶし、劉禅には巫女や鬼神の言葉を信じさせるなどして蜀滅亡に追い込んだ一因を成した[1]。蜀の滅亡後、魏の武将の鄧艾は黄皓の邪悪を憎んで殺そうとしたが、黄皓は鄧艾の側近に賄賂を贈って死を免れた[1]。
『三国志演義』でも悪宦官として登場。姜維の北伐を邪魔して成都に召還したり、劉禅に甘言を行なったりしている。蜀滅亡時は史実通り鄧艾からは殺害を免れたが、司馬昭は国家を誤らせた大罪人として許さず、第119回で黄皓は八つ裂きにされて殺されている。