閻 宇(えん う、生没年不詳)は、中国の三国時代の蜀の武将。字は文平(ぶんぺい)[1]。
荊州南郡の出身[1]。馬忠の後任として蜀の南部で長年にわたり功績を立て、右大将軍に昇進する[1]。262年に宦官の黄皓と結託して姜維の官位を取り上げて自分が後任になろうと画策した[1]。263年の蜀滅亡の際には巴東の督を務めていたが西に召還されて副将の羅憲に永安城を明け渡して姿を消している[1]。
『三国志演義』でもほぼ同じであるが、鄧艾の強さを知って尻ごみするという臆病さが加えられている。