鷲津砦
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鷲津砦(わしづとりで)とは、愛知県名古屋市緑区大高町字鷲津山に存在した日本の砦である。
概要[編集]
大高城の北東およそ400メートル、丸根砦の北西およそ400メートル、標高35メートルの位置にあった砦である。永禄2年(1559年)、織田信長の家臣・山口教継が今川義元に寝返った際、今川氏に備えるために信長が出城として築いた砦である。
永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで今川義元が大軍を率いて尾張に侵攻した際、鷲津砦は今川氏の家臣・朝比奈泰朝に攻められて砦は落ち、奮戦した飯尾定宗・信宗父子や織田信平らは戦死した。しかしその後、桶狭間の戦いで今川義元は織田信長の前に敗死し、その後に砦は廃止された。
現在は鷲津砦跡の碑があるのみで、砦の規模ははっきりしない。
昭和13年(1938年)12月に大高城が国の史跡に指定された際、鷲津砦も丸根砦と共に付指定で国の史跡になった。