青野藩
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青野藩(あおのはん)は、江戸時代中期のわずかな期間に美濃国に存在した藩である。藩主家は譜代大名の稲葉氏。藩庁は青野陣屋。石高は1万2000石。現在の岐阜県大垣市に存在した。
概要[編集]
寄合旗本の稲葉正休は美濃国不破郡青野に5000石を領しており、延宝2年(1674年)に小姓番頭、延宝5年(1677年)に書院番頭、延宝7年(1679年)に近習と栄進を重ね、天和元年(1681年)に2000石を加増されて7000石になる。天和2年(1682年)には若年寄にまで昇進し、さらに5000石を加増されて合計1万2000石の大名に昇格し、ここに青野藩が立藩された。
貞享元年(1684年)8月28日、正休は江戸城内で大老・堀田正俊を刺殺した。だが自らも老中の大久保忠朝・阿部正武・戸田忠昌らによって殺害され、罪状により青野藩は改易、稲葉氏は絶家となって廃藩となった。
歴代藩主[編集]
1万2000石。譜代。