遠藤忠夫
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遠藤 忠夫(えんどう ただお、1925年1月19日 - 2008年11月24日)は、日本の社会運動家、書店経営者。元ウニタ書舗店主。
略歴[編集]
宮城県生まれ。仙台高等工業学校(東北大学工学部の前身のひとつ)卒業後、国鉄仙台鉄道局に勤務。1945年12月日本共産党に入党[1]、1947年2・1スト当時の国鉄総連合中央闘争委員[2]、宮城県委員長などを経て、党本部財政部に勤務。1950年「五〇年問題」で国際派に所属して除名され、東京・神田神保町に左翼運動の専門書店「ウニタ書舗」を設立、新左翼系の書店として有名になった。1982年に経営不振で閉店した。
人物[編集]
レバノンやパレスチナで活動していた日本赤軍の国内窓口として知られた[3][4]。これは日本赤軍のリーダー・重信房子との個人的な信頼関係がもとになっていたとされ、北朝鮮のよど号グループともパイプを持っていたとされる[5]。伊藤律が中国で生存していたことが判明すると、長谷川浩らと連絡を取り、国内で支援体制を作るために働き[1]、帰国後の伊藤と重信との間で文通の仲介も行っていた[6]。
救う会神奈川によると、1991年1月に北朝鮮による拉致被害者の家族が実名を出して記者会見しようとした際、NHK記者の紹介で家族と会い、「金日成と太いパイプを持っている。会見を中止すれば助けられる」と持ちかけ、翌日の会見は実名を公開しない会見になり、その後の救出活動に大きな影響を与えたという[7]。救う会全国協議会によると、「金日成の侍医につながるコネクションがある」と語ったという[8]。
脚注[編集]
- ↑ a b 渡部富哉監修、伊藤律書簡集刊行委員会編『生還者の証言――伊藤律書簡集』五月書房、1999年、53頁
- ↑ 高沢皓司「ウニタ書舗」戦後革命運動事典編集委員会編『戦後革命運動事典』新泉社、1985年、30頁
- ↑ “元ウニタ書舗店主、遠藤忠夫さんが逝去”. 模索舎 (2008年11月27日). 2018年5月10日確認。
- ↑ 北丸雄二 (2008年11月27日). “ウニタの遠藤さん、死去”. 2018年5月11日確認。
- ↑ 小林健治 (2008年11月26日). “ウニタ書舗・遠藤さんのこと”. 社長ブログ 【ゲジゲジ日記】. 2018年5月10日確認。
- ↑ 伊藤淳『父・伊藤律――ある家族の「戦後」』講談社、2016年
- ↑ “★☆救いのカモメニュース・救う会神奈川★☆ 元ウニタ書舗店主遠藤忠夫氏死去について”. 北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会 (2008年11月27日). 2018年5月11日確認。
- ↑ “有本恵子生存情報”. 救う会全国協議会. 2020年1月20日確認。