辛評
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辛 評(しん ぴょう、またはしん ひょう、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将・政治家。字は仲治(ちゅうじ)[1]。弟に辛毗。甥に辛敞。姪に辛憲英。袁紹・袁譚の家臣。
生涯[編集]
豫州頴川郡陽翟県(現在の河南省禹州市)の出身[1]。最初、弟と共に袁紹に仕える[1]。202年に袁紹が死去すると、同僚の郭図と共に長男の袁譚の後継を支持し、3男の袁尚を推す審配・逢紀と対立する[1]。203年に袁尚に攻撃をかけて敗北したのを最後に史料には登場しない[1]。
『三国志演義』では韓馥の配下として初登場する。袁紹没後は史実通りに争うが、この争いで袁譚が不利になったため曹操と和睦する。しかし曹操に攻撃されたため、辛評は和睦の使者として派遣されるが、この時に曹操から家臣に誘われて拒絶する。しかし和睦交渉の失敗と曹操に誘われた経緯から袁譚に疑われ、その事をショックにして死去した。