辛敞
ナビゲーションに移動
検索に移動
辛 敞(しん しょう、? - 生没年不詳)は、中国の三国時代の魏から西晋にかけての武将。字は泰雍(たいよう)[1]。父は辛毗[1]。伯父は辛評。姉は辛憲英[1]。
生涯[編集]
249年に司馬懿がクーデターを起こした際、当時は曹爽の参軍だった辛敞は司馬の魯芝に曹爽の下に赴くように誘われたが迷い、姉に相談すると曹爽の滅亡を予期しながら、職務を全うするように告げたので辛敞は魯芝と共に曹爽の下に駆けつけた[1]。曹爽は一族もろとも司馬懿によって処刑されたが、辛敞は忠臣として許された[1]。264年から265年の間に河内郡太守となり、西晋の時代に衛尉になった[1]。
『三国志演義』では司馬懿のクーデターの時に姉とやり取りする際に登場するのみである。