虎御前山城
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虎御前山城(とらごぜやまじょう)は、近江東浅井郡(滋賀県東浅井郡湖北町河毛)に存在した日本の山城あるいは砦である。規模は標高218.6メートル。比高は110メートル[1]。
概要[編集]
虎御前山は浅井氏の居城・小谷城のある小谷山のすぐ南西にあり、標高218.6メートルを数えている[1]。
浅井長政が朝倉義景と連合して織田信長と敵対した祭、信長は小谷城攻撃の前線基地としてこの山に城を築くことを元亀3年(1572年)7月27日に命じたとされ、完成後は「御巧を以て、当山の景気(色)興ある仕立、生便敷御要害見聞に及ばざる」と賞賛している(『信長公記』)。城の定番には当時は木下藤吉郎と名乗っていた豊臣秀吉が命じられた[1]。天正元年(1573年)8月に小谷城が落城すると廃城となった[1]。現在は山頂付近に石垣が遺構として残っている[1]。