芳賀矢一

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芳賀 矢一(はが やいち、慶応3年5月14日1867年6月16日) - 昭和2年(1927年2月6日)は、日本国文学者[1]帝国学士院会員。

経歴[編集]

父は芳賀真咲で長男。越前国福井藩で生まれる。

第一高等学校、東京帝国大学国文学科に入学。明治25年(1892年)に卒業して大学院に入り、小中村清矩の指導を受け、明治28年(1895年)に第一高等学校及び東京高等師範学校教授となり、明治29年(1896年)に東京帝国大学文科大学助教授に就任。明治33年(1900年)にドイツ留学をするも、1年7か月で帰国し、明治35年(1902年9月に東京帝国大学文科大学教授に就任。明治36年(1903年4月に文学博士となり、大正4年(1915年3月に帝国学士院会員となる。大正5年(1916年)に欧米各国に出張し、アメリカイギリスノルウェースウェーデンなどを歴訪して帰国。大正7年(1918年)に國學院大學学長に就任。大正10年(1921年9月に東宮御用掛に任命された。

昭和元年(1926年頃から喘息心臓衰弱のため療養し、一時的に回復するも、昭和2年(1927年)2月3日になって再発し、2月6日夜に心臓麻痺のため死去した。61歳没。

芳賀は酒が大好きで、その酒で心臓を悪くしていたと言われている。夫人の綱子は昭和13年(1938年8月1日午前9時30分に脳溢血で死去している。

家族・親族[編集]

栄典[編集]

位階
勲章等

著書[編集]

  • 新撰帝国史要 冨山房、1896
  • 国文学史十講 冨山房、1899
  • 国学史概論 国語伝習所、1900
  • 世界文学者年表 冨山房、1904
  • 国語活用聯語一覧 冨山房、1904
  • 内地旅行 金港堂、1905
  • 中等教科中古文典 冨山房、1905
  • 国民性十論 冨山房、1908
  • 月雪花 文会堂、1909
  • 年中行事唱歌 文昌閣、1910
  • 日本人 付録・国体百首、1912
  • 国文学史概論 文会堂書店、1913
  • 口語文典大要 文昌閣、1913
  • 日本人名辞典 大倉書店、1914
  • 筆のまにまに 冨山房、1915
  • 帝国読本 冨山房、1918
  • 筆にまかせて 日本書院、1918
  • 新式辞典 大倉書店、1922
  • 芳賀矢一遺著 冨山房、1928
  • 芳賀矢一文集 芳賀檀編 冨山房、1937
  • 芳賀矢一選集(全8冊) 國學院大學、1982-1992

脚注[編集]

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  1. a b 小谷野敦 著 『日本の有名一族 近代エスタブリッシュメントの系図集幻冬舎幻冬舎新書)、2007年9月30日第1刷発行、ISBN 978-4-344-98055-6、182頁。
  2. 穂積重遠『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
  3. 「尾高朝雄」『昭和十一年度版 帝国人事大鑑』帝国日日通信社、1935年、補遺18頁。
  4. 『官報』第1624号「叙任及辞令」1917年12月29日。
  5. 『官報』第7499号「叙任及辞令」1908年6月26日。

関連項目[編集]

  • 校異源氏物語』・『源氏物語大成』 - もともとは同人が東京帝国大学を退官するのに伴った記念事業として企画されたものである。
  • 花まつり - 言葉の起源とされる、1901年にベルリンで催された「Blumen Fest(ブルーメンフェスト)」の発起人の一人。

外部リンク[編集]