芳春院 (足利晴氏室)
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芳春院(ほうしゅんいん、? - 永禄4年7月9日(1561年8月19日))は、戦国時代の女性。第4代古河公方・足利晴氏の正室。
生涯[編集]
父は後北条氏の第2代当主・北条氏綱[1]。兄に第3代当主・北条氏康がいる。天文8年(1539年)8月に晴氏に嫁いで「御台様」と称された[1]。天文12年(1543年)に晴氏の末子となる梅千代王丸(のちの第5代古河公方・足利義氏)を生んでいる[1]。
夫の晴氏と兄の氏康の関係は必ずしも良好ではなく、天文21年(1552年)12月に晴氏は家督を義氏に譲ることを余儀なくされているが、天文23年(1554年)7月に晴氏は藤氏と共に氏康に対して反乱を起こし、4ヵ月後に鎮圧されて相模に幽閉されている[1]。そのため、以後は芳春院がまだ少年だった義氏の後見、並びに氏康との仲介役を務めている[1]。
永禄3年(1560年)5月27日に夫の晴氏が死去すると、その後を追うように1年後に芳春院も死去した。法名は芳春院殿雲軸宗胎大禅定尼[1]。