羽黒城
ナビゲーションに移動
検索に移動
羽黒城(はぐろじょう)は、尾張羽黒(現在の愛知県犬山市羽黒)にあった日本の城である。別名を梶原館(かじわらやかた)[1]。
歴史[編集]
鎌倉時代前期の建仁元年(1201年)、鎌倉幕府の初代征夷大将軍であった源頼朝の側近として権勢をふるった梶原景時は、頼朝の死後に北条時政らの排斥を受けて息子の梶原景高と共に殺害されたが、その際に景高の遺児である豊丸こと梶原景親は難を逃れて梶原氏の菩提寺があった興禅寺に逃れた。ここに景高は館を築き、以後、梶原氏の子孫が代々ここに住居した[1]。これが羽黒城の起源という。
景親から数えて17代目の子孫である梶原景義の時に織田信長の家臣として仕えたが、天正10年(1582年)6月の本能寺の変で信長と共に討ち死にした[1]。この際に館は廃城同然となる。
天正12年(1584年)に小牧・長久手の戦いが起こると羽柴秀吉は廃墟と化していた館を修復して城砦とし、家臣の山内一豊や堀尾吉晴に守らせた[1]。以後、再び廃城となる。