織田秀子
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織田 秀子(おだ ひでこ、? - 寛永9年4月12日(1632年5月30日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての女性。織田信長の娘。兄弟に信忠、信雄、信孝、秀勝、勝長、信秀、信高、信吉、信貞、長次、信正らがいる。[1]。
生涯[編集]
信長の娘で、天正年間に大和国主の筒井順慶の養嗣子である筒井定次に嫁いだ[1]。正確な時期は天正6年(1578年)3月と伝わる[1]。『多門院日記』では天正3年(1575年)2月27日条に「信長より筒井順慶へ祝言在之、塙九郎左衛門尉送て来」とあり、これが秀子のことを指すのか、順慶自身の婚姻を指すのか不明である。
秀子の経歴についてはその後、ほとんどわかっていない。慶長20年(1615年)に定次は大坂の役で豊臣氏に内通した嫌疑を受けて江戸幕府の命令で自害を命じられているが、秀子はその後も17年生き延びている。