維山周嘉
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維山 周嘉(いざん しゅうか、文明7年(1474年) - ?)とは、室町時代中期から後期にかけての足利将軍家の一族。
生涯[編集]
Wikipediaでは「足利周嘉」、「慈照院周嘉」の項目であるが、これは間違いである。
父は足利義視。母は不詳。ただ、『後法興院記』では第10代征夷大将軍・足利義稙の異母弟と記録されている。
延徳2年(1490年)に伯父の大御所で第8代将軍であった足利義政が死去したが、その際の遺言で自分亡き後、東山山荘を寺院として義視の子息を入寺させるようにと述べていたことから、同年7月に慈照院に入院したという(『蔭涼軒日録』)。
明応2年(1493年)4月20日に19歳で相国寺において得度する。ところがそれからわずか3日後に明応の政変が起こって兄の将軍・義稙が細川政元、日野富子らによって追放されるが、その際に京都に留まることを弟の義忠とともに許されて存命している。
『慈照寺諸記』では、明応8年(1499年)11月に上洛を計画した兄の義稙が近江国坂本において細川政元に大敗した際、兄に従って共に京都から離れたとあるが、その後の行方は不明である。