精神論

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精神論(せいしんろん)とは、人間の精神力が、物質的な劣勢を、跳ね返せるとの立場を指す。もちろん、ものごとの勝敗が物質だけで決まるものではない以上、精神力によって物質的劣勢をはね返した事例は数多く見られる(スポーツでよく見られる「固くなりすぎたのが敗因」「気合負け」といったもの)。しかし、常識的にはね返せないのが当然と見られるほどの物質的劣勢を精神力ではね返せると信じ、また信じることを推奨・強制する場合、「精神論」として批判の対象となる。事例によっては根性論と呼称する場合もある。

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  • 竹槍三百万論など、第二次世界大戦中の大日本帝国および日本軍の行動、また敗因分析。「進め一億火の玉だ」「国民精神総動員」「欲しがりません勝つまでは」などの標語と共に用いられた。しかし精神論が戦局に影響を与えた場面はほとんど無い。(日々の訓練においては多少なり役だった可能性はある。)緒戦では作戦レベルの勝利をいくつか得たが、これは奇襲に代表される知力を凝らした作戦や、激しい訓練を経て得た経験の賜物である。ミッドウェー海戦以降、日本軍が劣勢になると、さらに精神論による戦局の打破が強調されるようになった。インパール作戦は精神論を前提として立案されたともいえる。最後には特攻に昇華した。
  • 生長の家は、「信仰する者は、広島被爆しなかった」と述べる[1]
  • 「病は気から」。広島の被爆者が入所する施設を、時の首相・中曽根康弘が訪問し、入所者にこのように発言して、問題化した。
  • タリバンイスラム教を確信することで、緒戦では米軍の軍用ヘリコプターを追い返した。
  • 1980年代以前(バブル期以前)の学校運動部身体を極限状態に追いやることが、精神力を鍛えると信じられた。却ってそれで、身体を壊す者が続出した。根性論とも。例としては「運動中に水を飲むな」[2]「具合が悪くなっても練習を続けさせる」等。前者は脱水症状、後者は熱中症などに陥る可能性があり、死に至ったケースも少なくない。また、当時の運動部は上下関係も厳しく、「しごき」と称する下級生への理不尽ないじめ虐待行為も盛んに行われ、それに耐えることで精神力が強くなると信じられていた。現在ではパワハラとして問題になる事例である[3]
  • 文武両道を目標に打ち出す学校。部活動で体力を消耗しているのに、大量の宿題を課したり、抜き打ちテストを行ったりし、学業の成績が少しでも下がり気味になると厳しい叱責をする。
  • 営業成績は努力にて必ず上がる、という言説。

脚注[編集]

  1. 「生長の家四十年史」p45~46
  2. 太平洋戦争中の南方戦線で戦闘中に喉が渇いた兵士が渇きのあまり、池の水(人によっては水溜りの水をも飲んだと言う)を飲んでしまい、腹を下したり、病気にかかった兵士が続出。原因を衛生状態よりも「水を飲んでしまったから」と結論付け「水をやたらに飲んではいけない」と教えた。水分補給
  3. 1980年代以前は、太平洋戦争に従軍経験のある教師も指導者もまだまだ多く、軍隊の価値観に染まったまま教育活動を行い、それを生徒や教え子たちにも強要していた。また当時は現在より、圧倒的に児童数・生徒数が多かったため、生徒の個性や権利を尊重する教育を行う余裕も無かった。

関連項目[編集]