インパール作戦
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インパール作戦(インパールさくせん)とは、第2次世界大戦後期の1944年3月から7月にかけて、当時のビルマを占領していた日本軍が連合国軍による中華民国への物資の補給拠点であったイギリス領のインドのインパール攻略を狙った作戦のことである。作戦の主導者は日本陸軍の重鎮の一人であった牟田口廉也←無能。この作戦の時期は既に日本軍の敗色は色濃く、物資の補給や輸送に関しても難があるとしてそもそも作戦自体に否定的な意見が多かったが、牟田口や陸軍の首脳部により強行され、結果的に国境地帯の山間部を越えるという険しいルートをとったにも関わらずに補給を軽視して作戦を続行。そして物量に勝るイギリス軍に圧倒されて惨敗した。日本軍側にはインド独立を目指すインド国民軍、イギリス側には当時のイギリス支配下における植民地のインド軍が参戦していた。この作戦で日本軍は豪雨地帯のこともあって感染症や飢餓などで、3万人以上が死亡したとされている。この作戦は「史上最低の軍事作戦」とも言われており、部下に責任をなすりつけた牟田口は戦後に裁判にかけられそうになるが、不起訴処分になっている(牟田口の愚行がむしろイギリスの勝利に貢献したことが評価されたためという)。
現在はインパール近郊に平和資料館が開館しているが、ここはインパール作戦時に日英両軍が激戦を繰り広げた丘の麓に存在する。
外部リンク[編集]
- 「ビルマの戦い~インパール作戦」 「白骨街道」と名付けられた撤退の道 - NHKの特設サイト。 参加した日英双方の兵士の証言、当時の日本で放送されたニュース映画が視聴できる。
- 戦慄の記録 インパール - NHKのドキュメンタリー番組。 日本側の生存者、参加した元英軍兵、現地の住民へのインタビューを含む。
- 父が語るインパール作戦体験
- 一兵士の戦争体験