虐待

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

虐待(ぎゃくたい)は、一般的には「特定の人物に対して威力を揮うこと」をいう。「威力」は多様で、暴力・暴言・侮辱・差別・無視のほか給与や配属なども含む。加害者に問題があるのは当然だが、被害者が加害者になることも多い。

概要[編集]

都市国家における経済効率を落とすことから、社会問題となっている。ただし被害者のみによっては解決しづらい。

人間生活との関わり[編集]

人格形成は、人間が成長するかぎり続いているわけで、「人格の成長ある限り、『躾』『教育』がつきまとう」というのが最大の問題点である。
江戸時代から明治時代初期においては、幼児期には「六歳までは神のうち」と云われて「厄を避けるために、数え六歳までは男子でも女子として育てる」という習俗が普通にあったといわれる。そのため子供は大名行列を横切っても「お構いなし」であって「見て見ぬふりをする」のが武士の心得であった[1]。もちろんお茶壺行列などもお構いなしなので、『ずいずいずっころばし』の解釈にも いろいろ脚色が含まれている。

日本への移入[編集]

そういった意味では、日本の幼児虐待はイギリス文化の移入によるものであるらしい。
イギリス文明においては子供は“野獣”であり、訓練によって文明化するのが保護者の義務であった[2]。すなわち子供は奴隷や家畜と同じように「人権」を認められず、「子供に鞭を惜しんではならない」というイギリスでの言葉があり、この発想はプロテスタント系のキリスト教徒にも広がり、「エホバの証人」などにも伝承されている。
対してドイツなどでは、サンタクロースは袋を持った“脅かしお化け”(ブギーマン)を連れてやってきて、悪い子供を攫って塩漬け肉(つまりは塩辛である)にすると脅す。もちろん「閻魔帳」を持っていて、よい子はを貰って頭を撫でられたりハグされたりするが、「悪い子」である場合は親が泣いて命乞いをして、「よく躾けるように」と白樺やトネリコの鞭を置いて去ってゆく。「飴と鞭」はここに由来するが、虐待親はそもそもそういう家族的なコミュニケーションを理解していないので、社会問題となる。

特徴[編集]

外面的な特徴と内面的な特徴があるが、どちらにも二面性があり、表裏の使い分けがある。

外面的特徴[編集]

自分より格下であるとか弱者であるとか言った場合には顕著に出る。
物腰が威圧的であり、たいてい不機嫌そうな表情を」している。偉ぶっていて見栄っ張りである。独言なのか誰に話しかけているか判らないような声でボソボソ喋っているうちに獲物を見つけたと思うと いきなり話しかけ、喋っているうちに興奮が募ってきて本格的にキレる。いわゆる酒乱のようなものである。
言葉遣いが粗雑で筋が通っておらず、「いま・ここ原理」が働いており、その時・その場のことしか考えない。全体性が喪失していて、「これはこれ、それはそれ」(共時性の喪失)・「あのときはあのとき、今は今」(通時性の喪失)がある。
「チンピラ未満」である。相手を攻撃することで鬱憤(フラストレーション)が一時的に解消されるが、その行為に快感を覚え、それに依存してしまうため、「怒りを噴出させるための燃料を集める」という逆説的なことになる。ハッカーは「問題を解決するためにプログラムを書く」のではなく「プログラムを書くために解決できそうな問題を探す」という意味では似ていそうだが、ハッカーは生産的なので善である。被害者としては「三ヶ月かかって三人がかりで完成しないプログラムを、ハッカーが三日で動かす」なんていうガックリ感はあるが、まあ結果オーライだ。ところが虐待者はこういうハッカータイプが大嫌いなので、結果として虐待者がリーダーになると職場から「できる奴が消える」。

内面的特徴[編集]

「本音」は判断原則であって「建前」は行動原則なので、都市文化に所属している以上「本音と建前のどこで折合をつけるか」は交渉理論でいう「BATNA」を探るのがマトモな社会人なのだが、「自分の利得を最大化する」ことしか考えない。
「ホンネとタテマエ」は「使い分ける」ものであり、「契約は破るためにある」と考えている。責任は「義務と権利の関係にコミットすること」であるが、「最大限に権利を行使して義務を最小化する」ことを考える。
「俺のものはおれのもの、おまえのものもおれのもの」という「ドラえもん」のジャイァンのようで、スネオとのび太を求めている。部下を過労死に追い込むブラック企業の親玉と発想は同じである。

虐待の連鎖[編集]

こういう虐待者の行動と思考パターンの影響下にいると、こうしたものが身についてしまう。「朱に交われば赤くなる」だ。
そのため虐待は連鎖というより感染する。このとき感染しにくいのがハッカーおたくである。したがって虐待者はオタク差別者やハッカー差別者である。

脚注[編集]

  1. そのため産湯をつかうための盥を持った産婆も、大名行列を横切ってもお構いなしであったという。
  2. この点においては奴隷と同じである。

関連作品[編集]

関連項目[編集]

参考資料[編集]

  • 『積木くずし ― 親と子の二百日戦争』
  • 岸田秀『嫉妬の時代』
  • 佐藤 淑子『イギリスのいい子日本のいい子 ― 自己主張とがまんの教育学』 (中公新書 1578、2001)

外部サイト[編集]