秋悦院
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秋悦院/岩倉殿 しゅうえついん/いわくらどの | |||||||||||||||||||||||||
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秋悦院(しゅうえついん)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての女性。尾張上4郡の守護代・織田信安の正室[1]。織田信定の娘で織田信秀の妹。織田信長の叔母に当たる。信安が尾張岩倉城主であった事から、通常は岩倉殿(いわくらどの)と称される。法名を秋悦院太雪妙慶と言い、秋悦院は院号である。
略歴[編集]
織田家の傍流である弾正忠家から総領格で嫡流の伊勢守家の信安に嫁いだが、時期に関しては不明[1]。
弘治2年(1556年)、信安は突如隠居して岩倉城を去って美濃白金に移ったが、これに彼女も同行したようである。信賢と信家は跡目争いを起こし、信賢が継いだ。信賢は斎藤義龍を結んで、尾張統一を目指す信長に抗したが、永禄2年(1559年)に岩倉城を攻められて滅ぼされた。この時、まだ彼女は健在で無事であったようである。
墓所は岩倉市の誓願寺に夫の信安と共に存在するが、元は名古屋市の万松寺に建てられていたとされ、現在では摩滅が酷くて文字を読み取ることができないという。ただし、同寺の過去帳に法名と没年を記録してあり、それによると没年は寛永6年(1629年)7月16日であるという(『岩倉市史』上)。
父の信定は天文7年(1538年)没と伝わっているので、その前後に生まれていたとしても90歳を超える高齢だったと推定される。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- 岡田正人 『織田信長総合事典』 雄山閣出版、1999年。 。