秋悦院

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秋悦院/岩倉殿
しゅうえついん/いわくらどの
性別
時代 戦国時代から江戸時代前期
生年月日 不詳
死没日 寛永6年7月16日1629年9月3日
肩書き 織田信安正室
国籍 日本国旗.png日本
墓所 愛知県岩倉市・誓願寺
配偶者 織田信安
子供 信賢信家
織田信定:不詳
家族構成 織田信秀秋悦院ほか
補足 織田信長叔母

秋悦院(しゅうえついん)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての女性尾張上4郡の守護代織田信安正室[1]織田信定の娘で織田信秀の妹。織田信長の叔母に当たる。信安が尾張岩倉城主であった事から、通常は岩倉殿(いわくらどの)と称される。法名を秋悦院太雪妙慶と言い、秋悦院は院号である。

略歴[編集]

織田家の傍流である弾正忠家から総領格で嫡流の伊勢守家の信安に嫁いだが、時期に関しては不明[1]

信安には信賢信家らの子がおり、生母は彼女と見られている。

弘治2年(1556年)、信安は突如隠居して岩倉城を去って美濃白金に移ったが、これに彼女も同行したようである。信賢と信家は跡目争いを起こし、信賢が継いだ。信賢は斎藤義龍を結んで、尾張統一を目指す信長に抗したが、永禄2年(1559年)に岩倉城を攻められて滅ぼされた。この時、まだ彼女は健在で無事であったようである。

墓所は岩倉市誓願寺に夫の信安と共に存在するが、元は名古屋市万松寺に建てられていたとされ、現在では摩滅が酷くて文字を読み取ることができないという。ただし、同寺の過去帳に法名と没年を記録してあり、それによると没年は寛永6年(1629年)7月16日であるという(『岩倉市史』上)。

父の信定は天文7年(1538年)没と伝わっているので、その前後に生まれていたとしても90歳を超える高齢だったと推定される。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. a b 岡田 1999, p. 141

参考文献[編集]