織田信家 (信安の次男)
ナビゲーションに移動
検索に移動
織田 信家(おだ のぶいえ、? - 天正10年3月2日[1](1582年3月25日))は、戦国時代・安土桃山時代の武将。尾張上4郡の守護代である織田伊勢守家(岩倉織田氏)当主・織田信安の次男[1]。母は織田信秀の妹・秋悦院。兄は織田信賢。弟に剛可正仲、津田正盛。別名は津田信家[1]。織田信長の従兄弟にあたる。なお諱は伝わっているが官位や幼名・通称などは何も伝わっていない[1]。
生涯[編集]
父が兄の信賢を差し置いて信家を後継者にしようとしたので、不満を抱いた信賢によって追放された[1]。このため父と同じように遊客の身にまで落ちぶれたという[1]。
時期不明だが、母方の従兄弟である織田信長の嫡男・信忠の家臣となり、天正10年(1582年)2月からの武田征伐に参加する[1]。しかし3月2日の仁科盛信が守る信濃高遠城攻めの際に戦死した[1]。