福泉寺 (鉾田市)

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福泉寺(ふくせんじ)とは、茨城県鉾田市大蔵113に存在する寺院である。宗派は臨済宗妙心寺派。山号は大蔵山。

概要[編集]

大洋村の中央部の大蔵の集落に存在していた寺院である。周囲より低い谷間にあったので、「穴寺」とも呼ばれていた。

平安時代後期に常陸国大掾氏の一族である平忠幹が開基し、恵光上人が開山したと言われている。その後、寺運は衰退したが、鎌倉時代末期の正中2年(1325年)に鎌倉幕府の第14代執権北条高時が再興し、粛蔵禅師を住持とした。この際に臨済禅刹としての寺観が整えられたという。しかし、わずか8年後に鎌倉幕府は滅亡、新田義貞に攻められて高時は自害し、寺運は再度衰運に見舞われた。

天正年間(1573年から1592年)に鏡山祥円によって再興され、江戸時代になると近隣に多くの末寺を抱えて寺運が隆盛した。ところが幕末になると寺が火災のために焼失し、それによって本堂と庫裏、収蔵庫を残すのみになって衰退した。

北条高時という鎌倉時代の天下人との関係から、本尊の木造釈迦如来坐立像は鎌倉時代末期のもので、高時が再興に尽力した際の作品と見られている。像の高さはおよそ164センチ、檜材の寄木造り像で、当時流行していた京都清凉寺の釈迦像の模刻と見られ、平行して流れ落ちる衣文の線は美しく、国の重要文化財に指定されている。他にも水戸藩主・徳川光圀の書簡、谷文晁がこの寺を訪れた際に描いたとされる竜の絵などが寺宝として所蔵されている。

アクセス[編集]