福島正成
ナビゲーションに移動
検索に移動
福島 正成(くしま(ふくしま) まさしげ(まさなり)、明応元年(1492年)? - 大永元年11月23日(1521年12月21日)?)は、戦国時代の武将。北条綱成・福島勝広の父とされる。受領名は上総介。
略歴[編集]
通説では正成は今川氏の宿老で、遠江国土方城(高天神城)主を務めていたという。大永元年(1521年)11月23日、甲斐国の武田信虎との決戦である飯田河原の戦いにおいて戦死したと言われている[1]。
あるいは今川氏輝の死後、今川義元と玄広恵探の家督争いである花倉の乱で後者を支持したことから、義元に討たれたともいわれている。
ただ、当時の今川家の史料に福島正成、あるいは上総介正成という人物が存在していた確実な史料は全く存在しない。さらに正成が死去したから、その死後に遺児を北条氏綱が引き取るなども整合的な話では無く、正成は架空の人物に過ぎないのではないかという見解がある[1]。